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T.身近な公園をこどもが本当に遊べる公園にするために
(矢郷)みんなのうちの近くに、次のような空き地があると想定して下さい。右手の大きなケヤキの木がシンボル。左奥には高さ1.5mくらいの段差の小高い場所があり、その横に杉のような針葉樹の木が3本。段差を雨水が流れて小さな池のようになっていて、そのまわりに草が生えているところ(ブッシュ)があります。通り側につげのような垣根があります。この土地を公園にするために、市の公園課の職員がヒアリングに来ました。この中で3点くらい残したいものを考えて、その理由を教えて下さい。(該当するものに挙手して、その理由を発表しました。)
@ ケヤキの木(16人)・・・自然のもので木登りさせたいから、シンボル的なものだから、木陰だから
A 針葉樹の木(1人)・・・3本全部切らなくても1本くらいは残ってほしい
B 水が流れてできた池(21人)・・・こどもは水が好き、アメンボとかもいる
C 段差(21人)・・・平坦なところと違う、上にのぼろうとする、景色を眺めたり、ダンボールすべりしたり遊びでも使う
D ブッシュ(2人)・・・落ち葉が落ちたり虫や小動物がいたり、かくれんぼや探検ごっこができる
E 地面が土(14人)・・・はだしで気持ちがいい、掘って遊べる、照り返しが少ない<
F 入口のつげの垣根(0人)
G それ以外(0人)
みんなの意見から、ちょっとしたせせらぎ、変化のある地形、木登りできる大きな木、土などが遊びにも使えるので希望が高いということが分かりました。今度は町会の人たちに意見を聞きに行きました。どんな意見が出るか、想像してみて下さい。
ブッシュ・・・風紀的に危ない。痴漢にあったとか変な人がいるとか言われても解決できないし、連れ込まれたりしたら大変。
水たまり・・・ボウフラがわいて蚊が出る。今の親は3センチの水でこどもがおぼれても文句を言う。管理できないから、せめて水道があればいいのでは。
ケヤキ・・・落ち葉の掃除が大変。公園にあっても掃除する人がいない。町会に言われても困る。ケヤキの代わりに、落ち葉も落ちない、なんとなく緑であまり大きくならない木を植えれば。
段差・・・陰にこどもを連れ込まれるかも。ゲートボールするにも邪魔。でこぼこだけ残しても・・・。
地面が土・・・羽根木公園で昔、子どもが水たまりに山を作って遊んだ後、水が蒸発してでこぼこになった地面につまずいて転んだ人が、ワイシャツのクリーニング代を公園事務所に請求に来たという話も。ぬかるみは歩くと汚れる。草も生えず、虫も住まなくなるが小石や石灰の入った浸水性のある人工の土に変えてはどうか。
つげの垣根・・・風紀上見通しが悪い。見通しのよいフェンスに。 オムツ替えもできる長いベンチはホームレスが寝ると困るからダメ、不便だが一人用のイスに。飲食されるとゴミやカラスが大変だからテーブルはダメ・・・
で、従来通りのすべり台と砂場がなんとなくできる。こんな経緯の中でできる公園はこんな感じ。照り返しはある、雨が降ってもしのげない、遊んでる姿が丸見えでいつも誰かに見られている感じ。創造的にさせるものがないから遊び込める公園でもなく、すぐ飽きてしまう。
ではどうすれば本当に遊べる公園ができるのか?
公園を作る時行政が一番心を痛めるのが、@風紀の問題 A管理の問題 B事故や怪我の問題。これをクリアするために住民・利用者が公園作りに参加することが鍵を握る。
冒険遊び場では@遊びの環境を守る A遊具や道具・その場所の使い方を管理する B「自分の責任で自由に」ということを伝えて行政が事故や怪我の責任を第一人者として取らない体制をつくる、の3つができている。「私たちの責任で勝手に遊びに来るから」では行政は管理責任を逃れられずこの環境はつくれない。でも管理もした上で自分の責任で自由にやるということであれば、行政は考えようとしている。
東京オリンピック(昭和39年)は、新幹線や高速道路など日本の国土開発が進む契機になった。40年代にはアスファルトの道路ができマイカーブームが来る。交通事故が深刻化する中で、こどもが自由に遊べるところを街の中に作ろうと児童館や児童公園が盛んに作られてきたが、同時にその限界も見えてきた。その頃海外の冒険遊び場を見た大村夫妻が区の土地を一時借用して短期の遊び場をはじめたのをきっかけに、1979年に羽根木プレーパークができた。
U.羽根木プレーパークのスライド(乳幼児の遊び)
・ ロープで電車ごっこしているシーン。自主保育の子ども、歩き始めたこども達がこんな風に遊びを誘いあっている。
・ 羽根木プレーパーク。きたなくて作りかけのものが転がっていて、地面はでこぼこ。こどもがほうきを持っている。こんな生活くさいものがあると、ほうっておいてもこどもは自分でドラマを作っていく。
・ ベニヤのテーブルの上で番傘さしているこどもと、ハンドル持って車掌をやってる女の子、まいったなという感じ。
・ 自主保育の4、5歳の男の子。1.5mほどの鶏小屋の上に立って、一人で踊ったり歌ったりしている。彼にとってはステージで、その下の鶏はどう思っているか分からないけど、彼も一人なら鶏もひとり、そんなところ。
・ 水の出ているホースの筒を地面につけると水が止まり離すと水が出る、それがおもしろくて1歳くらいの子が2時間それをやり続けている。こんな小さいこどもでも科学する心、不思議を楽しむ心がある。誰も止める人がいないのもすごい。
・ 落ちてるものを集めてままごとをやってる子、木と木の間に垂らした布をハンモックにして入ってるこども、その横を歩いてくるこども。こどもって見てるだけで遊びを覚えたり遊んでたりする。いろんなものが拾って遊べるっていいな。
・ 寒い冬、さかさまの一輪車の上に乗って車掌さんをやってる子と、一輪車のワッカで落ちていた草を切って遊んでいる4、5歳のこども達。格好の遊び場を見つけた。
・ 2歳くらいの男の子が小さな山を作って缶で水を汲んできて、タンポポさしてひそひそやってる。その横で座ってるこどもは横にいるだけで一員みたい。
・ 自主保育をやっている子たち。来るとすぐに裸になって泥と草でケーキを作りはじめて横のテーブルに並べ、いっぱいになるとお母さん達にご馳走。9時から3時位の間中ずっとケーキを作り続ける、それをひと夏ずっとやっていた。
・ 10人も15人も戯れてるシーンはあまりない。この子は地面に座って掘ってるのか見つめてるのか、それも遊び。まわりにバケツやみのが落ちている。大きな木の上で本を読むこどももいて、自分で登れるこども達にはこんな遊びもある。
・ リーダーやこどもが作った手作りの小屋の中に入っておみせやさんごっこをしている幼児たち。小さな窓を通して中と外でやりとりしている。つくりかけのものはイメージを湧かせる。ドラマのある世界が繰り広げられる。
・ 地上5mくらいの高さにある、しいの木の上に作った小屋に付けたハンモックに揺れて遊ぶこども。
・ 金ダライと棒でなにか作ってる子、パンツまでまっ茶色で四つんばいの子、シャベルを持ってる子。塀の向こうはびっしり民家、でも垣根の緑があるからゆったりした雰囲気がある。大人たちが工夫する以外こういう緑は残らない。
・ 夏は、くぼみにシート敷いて水を入れて作ったプールで体とパンツを洗って帰っていく。大人たちがそうするのを見て、ある日2、3歳のこども達が真似をして、なべを集めたりシートを引っ張り出したり。水を入れて足をつけて遊んでいる。
・ ちょっとしたでこぼこも遊びの中で使いこなせる。自主保育グループの本読みシーン。お母さんの横で勝手に本を読んでるこども、指をくわえて聞いてるこどもたち。
・ 木と木の間に一枚のシーツを張ってステージと観客席を分けてクリスマスの劇がはじまる。普段遊んでる場所がちょっとした工夫とアイデア次第でステージにもなる。そんな風に空間を使うのは楽しい。
・ はらっぱプレーパークで開かれたプレーリーダーの結婚式。バージンロードもウエディングドレスも地域の人の手作り。
・ 結婚式の後の中学生たちのバンド。仮設の台所横で団子作ってる子。まわりは彼と関係ない、一人ニコニコと団子屋。
・ ちゃんばらをやってる子ども。ここにはプレーリーダーの衣服の洗濯物やペンキを塗る足場などがあって、そこがちゃんばらの舞台になっている。生活くささの中で大人とこどものものがうまく混ざり合っている。
・ 男の子3人でひそひそ。しばらくして行ってみると今度は屋根の上に乗ってステージをやってる。小さく座ってるかと思ったら今度は屋根の上、その変化がおもしろい。
・ 地面にホースを埋めてできた泉で、こどもがしゃがんで水を汲んでる。ちょっとした工夫でファンタジーが生まれる。ファンタジーを育てることは遊びの原点。放置してある自動車で遊ぶ子ども、大人は自動車が危なくないように見ている。
・ 水遊びしてぬれてしまったおしりを乾かしている。プレーリーダーの役目はおしりが乾くまでの話し相手。
・ 自主保育の卒会式、ギターを弾いてるプレーリーダーとこども達。手作りの遊具や小屋が風景を作っている。
・ 雨の日の羽根木プレーパーク。地域の人とリーダーで作ったリーダーハウスは、登って遊ぶ子がいたり、話し合いが行われたり、リーダーが仕事をしたり、着替えたり・・・といったことに使われている。
・ これはスウェーデンの遊び場。広い森や公園の中にあって、大人も子どももゲートをくぐって遊び場の中に入ってくる。
・ 小学校3年生以上くらいの子どもが自分で小屋を作り基地にして、家からいろんなものを持って来て使い始める。
・ 火で遊ぶのは大きな要素。いろんなかたちのかまどがある。ここでクッキー焼いたり、棒にさしたマシュマロ焼いたり。
・ そういう傍らで日本と同じ地域の大人が、臨時にカフェをオープン、ナンを焼いてくれた。以上海外編、おまけでした。
V.質問を受けて
<公園での水の使い方などの苦情が公園課に寄せられる、歩み寄りのきっかけは?>
きちんとなだめる方法はないからそれぞれに対応している。当初は地域の人たちの苦情を打開するために月に一回近所の人たちを招いて食事会をしたことも。火の始末ひとつとっても、顔が見えると安心できる。行政や地域の対応をして環境を作る努力をするのが世話人、プレーリーダーはこどもの遊びの環境をつくる人。そういう役割分担をしながらやっている。
<プレーリーダーや世話人はボランティア?>
親とは別にプレーリーダーがいる方がこどもも遊ぶし、遊んでくれる大人がいたらこども安心して遊べるし親も安心できる。今日本ではプレーリーダーを雇用していこうという動きが高まっている。でも実際に雇用できる団体は少なくて、世田谷でも給料17〜8万が精一杯。世話人はボランティアで地域の大人たちが1、2年間かわりばんこに務めている。
<プレーパークで自主保育できればいいけれど近くにはない>
遊びやすい公園を見つけることが重要。面白そうな場所があったらまず使ってみて、自分たちでプレーパークを名乗って看板立ててみたり。自主保育で使って遊びや環境の楽しさをニュースレターで伝えて仲間を増やすというやり方もある。コミュニティガーデンとして公園に花や木を植えて土にふれることも活動の第一歩になり得る。プレーパークでも自主保育でも、大人が遊んでやらなければこどもが遊ばないというのは不便だから、それを逃れるためにはおもしろい場所を見つけるしかない。休耕田、畑、河川敷・・・そういう場ではこどもは勝手にやる。小さな遊びやこどもがかたまってたりするのを遊びと認めていけば、うまく回っていくと思う。
「自主保育の当番なんてできるかしら」と思うかもしれないけれど、散歩、裁縫、畑仕事、ショッピング・・・その人が好きなことをしたらいい。あまりこどもを遊ばせようと考えないほうがいい。人数が多いからいい自主保育、いい遊びができるとも限らない。15人くらいならその子の個性も分かるが、多くなりすぎると自分の子しか見えなくなる、他のこどもの育ちも見えづらくなるし、関係を作れなくなることもある。お母さん達5,6人集まったら、例えばダンボール持って行ってがけすべりも楽しい。そんなことができる仲間を作ることが大事。
<自主保育で現在11家族子どもが19人、これ以上増えてやっていける?>
「ひろば」だと預けあいで25組くらい。30人はきつい。15人くらいだったらやりやすいかな。話もしやすいし2DKの家にも何とかおさまる。1、2歳の子を預かりあうこともあって、そんなときは小さなこどももうれしそう。親も自分の子だけならしないことに付きあう気になったり、そういうのが楽しい。勉強したい、習いたい、映画を見たいというと預かりあうような関係ができてくるし、小さい子を通して自分も育っていける。
<乳幼児も自分の責任で自由に、でも2歳前の小さな子も放っておいて平気なのか・・・>
羽根木でも1、2歳の子は這い回っている。時間を区切ったりはするが、2歳くらいになるとある程度遊べる。仲間がいたらこどもは勝手にやってくれるから、親として判断する場面も少なくなる。常に自分が媒体しなくちゃならないのは大変。自分一人では躊躇することも仲間がいたらできる。親子で火の近くに座ったりして場に慣れていけば。
<お父さん達が中に入ってくるためのきっかけ作りは?>
冒険遊び場は父親が入りやすい。とんかちのこぎりで何か作るとか火で料理するのは好きなはず。できるだけそういう場に連れ出すのは大事。プレーパークには、ぜひこの講座の中でも一度みんなで行ってみるといいよ。
W.女性のリレーションシップを深めるワークショップ
女性の持っているパワーを出しあえるようなワークショップの一部分。人間関係できついことがあった時に、どうやって自分の心の緊張を解いていこうかと旅をする中で、自分の中で意識が広がっていくような体験をして、その時もらったビジョンを絵に描きました。これはその中の8枚をポストカードにしたものです。(カードの中から、印象的だと思うものを一枚選んで、選んだカードの人に名前を付け、その名前とカードを選んだ理由を話しました。)
<夜に聴く声>・・・静寂の中で聴こえる声、神の声のようだけど本当はすべて自分の声。それを聴くことは大きな力になる。インディアンの人たちは直線的に宇宙と繋がっている。彼らは常に何かのスピリット、精神とつながっている。ヤギは次に行く手への導き手のように私には見えるので、夜に声を聴きながら新しく来る出会いや世界というか社会というか明日というか今日というか、そんなのを待っている、そういうカード。
<龍が生まれる夢>・・・ドンファンという有名なメディスンマンの言葉の中に「人は一生懸命何かを考えている時、その人の心の中に卵を温めている」という言葉がある。何かに一生懸命になっているときは自分の心の中に卵がある。この人も自分が温めた卵を大事にして、その中から龍が生まれてきた。一生懸命何かを見つめるのは大事なこと、そのことによって生まれてくる卵は次の夢を、現実を生み出すものになる、そういうカードです。
<新しい大地で私は生まれる>・・・「私は生まれる、見知らぬ大地で」著者のエミー・タンの小説に心が震える思いがした。どんな人も後にはおばあさんのおばあさんのそのまたおばあさんの歴史とか命の塊を持っていて、その命が引き継がれて私がいて、私がまた新しい命を産む。そういう歴史を背負っている私はどんな時でもどんなことがあっても、自分を生まれ変わらせることができるだけの力を持っている。困難や苦しいことにぶつかっても、蝶のようにそこから脱皮してまた新しい自分が開けていく、そんな女の人の再生を描いたカード。
<境界で羽を拾う>・・・毎日同じように続いている生活が、景色が変わるようにある時変わることがある。「今日からなにか新しいものが始まった」「あの問題はもう後に去って、私に来るのは今までと違った時だ」と感じる時があって、その境にいる時にそれを知らせるサインが来る。サインをきちんと見ていくと、辛くて別れたものも、うまくいかなかった人との出会いも、すべて約束されていたことで必ず意味があると分かるから、変化していく自分の変化していく瞬間を大事にしてほしい。変化するときのメッセージを大切にしていくと、思いがけないいい世界が開けていく、そんなカード。
<忘却は祝福である>・・・マリアカランスのCDの歌詞に「神は大きな愛である」「神の大きな愛の一つの大きなものというのは忘却だ」、つまり忘却こそ神の愛であるとあった。忘れることは悪いことだと思いがちだけど、忘れることさえ愛に包まれた行為であり、神聖な行為であるということに衝撃を受けた。忘れるということが私たちの力になる、それも神の愛だと思った瞬間にいろんなことが楽になる。忘れることすら愛の力に任せなさいという、そんな一枚。
<私は幻視で花の咲くのを見る>・・・私たちはみんな、天から与えられた力、願うことはすべて叶えられるというパワーを持っている。「私はこれしかできない」と思い込んで、なんとなく一人の決まった人間としてここに座っていたりするが、心の中にはもっと自由にいろんな人が住んでいる。カードに描いた8人がみんなの心の中に全部住んでいるかもしれない。この人は少女の私。正義感があって力強くてまっすぐな、少女みたいな自分に気づく時があるでしょう。そういう力があなたを助けてくれるから、なにかやるときにすべて自分の力でやりきらないで、半分はそれに任せて物事をやって下さい。
<子どもだった私を残して私は大人になった>・・・私たちは親から教えられた育てられ方でしかこどもを育てられない。監視して管理する親に合わせようとしていた私はこどもの時、緊張してたのかも。やっと、こんな風に無邪気に歌ったり踊ったりする自分も残っているのかなと思え、自分の中に住んでいるこどもを描きました。みんなの中にも無邪気な、歌ったり踊ったり飛んだりするこどもがいて、あなたの朗らかさを助けてくれる、そんなこどものいることも忘れないで。
<ビジョンは夜明けのように訪れる>・・・いろんなビジョンがわいてくる瞬間、思いがけない自分の力を発見することがある。心の中に住んでいる女の人って身体もしっかりしているし腰もしっかりしていて、きちんとした目をしてきちんと歩ける。そんな人があなたの中心を支えていてくれることをどんな時にも忘れないで。
見えるあなただけがいつもあなたではなくて、時には夜に自分の声を聴いてみようとするちょっと能長けた自分、老人のような知恵を出す自分がいたりする。均衡を保とうとする少女らしさを持った自分もいたりするし、夢を生みだすことに夢中になる自分もいたりする。そういう自分がいっぱいいることが分かっていくと、いろんな自分に力がつくのかなと思います。今日は30分付き合ってくれてありがとうございました。
<感想より>
・ プレーパークの話、スライドや実際に公園作りを皆で考えていくといった例を交えながらで、とても分かりやすかったです。子供が豊かな遊びを体験できるか、親の心がけしだいという言葉、分かっていたけれど痛いところをつかれた感じです。でも前向きになるいいきっかけをもらいました!後半のワークショップもとても興味深かったです。自分のために自分のことを考える時間、とても貴重でした。
・ 先週の遊びの話やこれまで読んだり聞いたりしていたプレーパークで子ども達がどんなふうに遊んでいるのか想像するだけだったのですが、スライドで子ども達が自由に遊んでいる姿を見て、子ども達や夫と行きたい気持ちになりました。
・ 公園の事など考えたことがなかったが、今の公園になるのは、管理・事故責任などいろいろなことでできてることなどが分かり親がいろいろ考えたりしなくてはと思った。
・ 「大人(親)が先にやらないと、子供は遊ばない」と思っていたので、「遊ばせようとしなくても、子供は遊ぶ」というお話を聞いて、もっと手を抜こう!と思いました。
・ とても素敵な講義でどんどん吸い込まれました。プレーパークは子どもの遊びの原点といった感じでたくましくてスライドをみてわくわくしました。頼もしく是非自分の子どもにも経験させたいです。Last30分の女性のための講義はかなりいやされました。1つの絵を選ぶことで自分の心情を気づかされたりわかってもらえる人がいるということで安心したり感動したりと涙が出そうでした。
・ 長崎でPCを使った殺人事件が起きている世の中で、今日は自然とふれあう大切さがよく分かりました。身近に自然が感じられるように、日々意識して過ごしたいと思います。
・ プレーパークのスライドを見て近くにあればいいなあと思いました。でも管理、維持するのも大変そうですね。子供に自然にふれあう遊びをさせたいです。
・ プレーパークは大好きでよく通っていますが、改めて、この公園の必要性を感じました。生活くさい場所、科学する子供、ほっとかれることが少ない近所の公園とプレーパークのときの我が子の顔つきは全くちがい、親もプレーパークの方が見守っていられる雰囲気で、楽だし楽しいです。もっと広がっていけばいいな。
・ 羽根木のプレーパークはこどもが小さい頃、何度も足を運ばせていただきました。なぜか子ども達はあの場所が大好きで、皆よく遊びました。感謝しているとともに、ああいった場所をささえて下さっている人たちのご苦労に思いをはせると何も行動していない自分に息苦しさを感じました。自分でも何かできることを探していきたいと感じました。
・ プレーパークのお話、やはり興味多ありで聞き始め、「ぜったい行こう!!」と思いました。子どもは子どもの世界で、子どもの頃にしか体験できる事を今の子ども達に教えていくのも大人の役目と思いました。矢郷さんありがとうございました。
・ 今の私たちより、自然で遊んだであろう大人たちが、冒険遊びの楽しさを忘れ、整備された禁止事項だらけの公園をつくってきたのだと思うと悲しくなりました。しかし、行政が自然豊かな公園づくりを積極的に考えるようになってきたのは嬉しい。
・ 子どもを自由にもっと遊ばせてあげたいとプレーパークを見て思いました。お話もおもしろくとても楽しい時間をすごせました。ありがとうございました。
・ 2回目の矢郷さんのお話しを聞けて楽しかったです。兄ちゃんの幼稚園がプレーパークにとてもにています。公園であればいいなと思いますが、いろんなことで大変なのがわかりました。
・ 多くの公園が無難で“遊べない”公園になってしまっている背景をうかがって大いに納得しました。便利なもの、安全なもの、新しい技術が増殖していく世の中の流れに身をおきながら、昔からある子供のために残すべき自然や生活感のある環境を保っていくには非常に高い問題意識と努力が必要だと感じました。
・ 途中からの参加でしたが、プレーパークのフィルムを見ることができてよかったです。プレーパークは、今まで気になりながらも積極的に関わってこられなかったので、近々、また遊びに行ってみようかな?と思いました。
・ 「自分の責任で自由に遊ぶ」には、一見面倒くさそうなこともたくさんついてくる。でもそれを敬遠せず、自分にうそをつかないで、一歩ずつ進み乗り越えていくだけのパワーをいただいたように思えました。ありがとうございました。
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