「遊びをキーワードに子どもの育ちを考える」講座記録
こどもにとって遊ぶこと≠ヘ生きること
でもまちの遊び場はめっきり減り、こども集団も見かけなくなり、
こどもたちの遊びは区切られ、管理されたものになりつつあります。
こどもの遊びを、育ちを、親はどう見守ればいいのでしょう?
地域の仲間と一緒に考えてみませんか?
日程:平成16年9月14日〜12月21日(全13回連続講座)
会場:プラザ橘 (〒213-0026 川崎市高津区久末2012-1)
対象:市内在住の2歳以上の子どもと保護者・関心のある方
保育:2歳以上15名   参加費:無料
申込&問合せ:プラザ橘(高津市民館 橘分館)
企画 :橘の子育ち環境を考える会

月日 学習内容 講師・助言者
1 9月14日 オリエンテーション・親子で自己紹介 保育ボランティアグループ
「たけのこ」メンバー
2 9月28日 野外調理 〜カレーを作って食べよう〜  
3 10月5日 自分たちの感じていることを整理する
 〜今の子育て なにが大変?〜
子育て環境研究所 代表
有限会社セレーノ 代表取締役
杉山千佳さん
4 10月12日 遊びについてのワークショップ
 〜子育てしづらい?今のまち〜
毎日の生活研究所
矢郷恵子さん
5 10月26日 話し合い
 〜こどもの遊び、どう見守っている?〜
毎日の生活研究所
矢郷恵子さん
6 11月2日 保育室からの報告@・話し合い
 〜自分の子育てを振り返って
保育ボランティアグループ
「たけのこ」メンバー
7 11月9日 公開講座 「こどもにとって遊びとは何か?」
 〜けんか・どろんこ・危険なこと・・・
    敬遠されることって不要なこと?〜
世田谷ボランティア協会
天野秀昭さん
8 11月16日 プレーパークってどんなところ?
こどもといっしょに遊ぼう!@ 企画編
プレーリーダー
檜谷史夫さん
9 11月23日 こどもといっしょに遊ぼう!A 実践編
〜高津区市民健康の森にて〜
プレーリーダー
檜谷史夫さん
10 11月30日 話し合い 〜親として、地域の大人として、
今私たちにできること〜
世田谷ボランティア協会
天野秀昭さん
11 12月7日 保育室からの報告A
  〜こどもの心と向き合おう〜
保育ボランティアグループ
「たけのこ」メンバー
12 12月14日 公開講座 「子どものことは子どもに習え」
 〜子どもに寄り添うということ〜
教育評論家
斎藤次郎さん
13 12月21日 親子でクリスマス会  


オリエンテーション・自己紹介

<はじめに>
今日から13回連続講座が始まります。こどもたちは次回から保育がはじまります。他の子と関わり、成長していくこどもたちの姿が見られるのではと思います。大人も負けずに成長していきたいですね。

<講座企画のきっかけ・内容>
今年度から川崎市で乳幼児学級が廃止されました。「他部局の事業と重複している」「子育て支援事業の一元化を図る」という理由からで、同じような講座を開くには、わたしたちのような市民が「自主的に」企画しなくてはならなくなりました。この講座には、中原区高津区で活動している「子育て支えあいネットワーク満」、プラザ橘で子育て中の親と子のための講座やイベントを企画している「子育て交流集会プランナーズ」、そして自主保育のメンバー(自主保育とは就学前の0〜6歳の子どもたちを母親が交代で預かり合い、地域の中で育て合う活動)がジョイントしたかたちで関わっています。講座内容には、自主保育をしながら感じることも沢山盛り込んだつもりです。
最近は、けんかをしたら「あぶない」、水遊びをしたら「もったいない」、どろんこあそびをしたら「きたない」で、こどもたちはなかなか思うように遊べない状況ではないかと思います。こどもの遊びはすっかりおざなりにされているけれど、でもそれって本当にこどものためになっているんだろうか? そんな思いからこの講座を企画しました。

<「たけのこ」の保育について>
「たけのこ」は、プラザ橘の講座の保育をしてくれているグループです。たけのこメンバーの方は、自分たちも子育て真っ最中の頃から自分たちのこどもも見合いながら保育活動をしているのが特徴です。その分、講座を受けている親の気持ちにも、待っているこどもの気持ちにも寄り添ってくれるように思います。
◎たけのこメンバーより…

・子育て中の、または子育てひと段落の、ふつうのお母さんたちが保育にあたります。けんかや小競り合いなども、しばらくは止めないでこどもたちの関係を見守っています。お母さんとは違ういろんな大人がいるんだな、ということも感じてもらえればと思います。

<自己紹介>
ちょっと休憩を挟んで手遊びとゲームを楽しみ、その後参加者が自己紹介(自分の名前・こどもの名前と年齢・こどものいいところ・自分の好きなこと)をしました。頼られるより、頼るほうがしんどい」かもしれません。でも人を頼ることができてはじめてそこが自分の居場所になるんじゃないか、とも思います。この講座では「話す人⇒聞く人」という一方通行の関係ではなく、お互いに頼ったり頼られたりあてにしたりされたりしながら、学びあい、関係を深めていければと思います。

<感想より>

・たけのこさんに保育してもらえるのが楽しみです。またよろしくお願いします。キャベツの歌、気に入りました。

・同い年のお友達とふれ合う機会があまりなかったので、今後楽しみです。どうぞよろしくお願いします。

・「遊び」…整備され、遊具のある公園や園庭以外で子供達がのびのびできる本当の遊びをみつけられたらと思います。

・毎回の内容がとても興味あり楽しみです。子ども達と親達、共に仲間が出来るのも楽しみにしています。どうぞ、よろしくお願いします。

・子どもがなかずに楽しく遊べて発散できて、良かったと思います。また親子共によろしくお願いします。

・久しぶりの参加で楽しみであり、きんちょうしました。子どもも同じくらいの子どもたちとかかわることができてよかったです。12月までよろしくお願いします。

・これから3ヶ月間すごく楽しみです。子供がのびのび楽しそうに遊んでいるすがたがみれて今回参加できてほんとによかったです。

・今回の講座の概要や保育の際の注意点などが分かり、良かったです。自己紹介をきいて講師の先生だけでなく他の参加者の皆さんの話を聞くのもとても楽しみに思いました。

・今回から3ヶ月間とても楽しみにしています。親子共々成長できたらと思います。子どもも沢山お友達が出来たらうれしいです。

・これからの講座がたのしみになってきました。

・子供がずっと騒いでいたのであまり内容を聞けなかったのですが、スタッフの方の子育てに対するスタンスにとても感心しました。これからの講座が楽しみです。

・みなさんの自己紹介や、保育、講座についてお話を聞けて、ますます次回から楽しみになりました。本当にどうぞよろしくお願いします。

・受講者同士の交流する時間がもっとあったらよかったかなと思います。名前が全然覚えられないので、次回から少しずつ交流が深められたらなと思います。

・初めての保育でどうなるかなと不安もありますが、子供は子供同士で私は自分の勉強として、お互いに良い時間を過ごしたいと思います。

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野外調理 〜カレーを作って食べよう〜

<内容>
保育室にこどもを預けた後、第2学習室に集合。説明後、先にカレー作りにかかる人と部屋の机といすを片付けてシートを広げる人に分かれました。部屋のセッティングが終わったらカレー作りに合流。中庭の芝生の上にシートを広げて野菜や肉を切り、鍋で炒めて水を足し煮込みはじめるまで、予想以上に手際よく、スムーズに進行しました。鍋にふたをした10時45分頃から40分ほどは参加者同士の自己紹介。前回は子連れだったこともあって話をするのも聞くのも大変でしたが、今回は参加者同士の顔が近く、交流もしやすかったのではないでしょうか。カレーのほうは水が多かったこともあり、ルーが足らなくなって買い足しに走る、というハプニングはありましたが、最終的にはおいしく出来上がりました。第2学習室にカレーを運んで、こどもたちをお迎え、その後みんなでカレーを食べました。

<感想より>

・野外でカレー等、料理を作る機会があまりなかったけど、久しぶりに新鮮で楽しかったです。みんなで作るといいですね。

・今日はみんなでカレーを作って食べる事ができてたのしかったです。

・カレー作り楽しかったです。みんなでワイワイ野菜を切ってできあがったら食べる、こんなたくさんでいいナーと思いました。

・みんなでカレーを作りとても楽しかったです。子供もおいしいといっていつもよりたくさん食べていました。

・みんなの手際の良さに感心。さすが主婦のプロ!!みんなで食べると子どもの食も進み、楽しい時間を過ごせました。

・たのしく美味しいカレーができてよかったです。子供もたくさんいただきました。待ち(煮ている)時間にもみなさんといろいろお話できました。

・にこむまでの手ぎわがさすがによく、早かったですね。2回目でみなさんの顔がすこしずつわかってきました。道具やシートの準備ありがとうございました。おいしかったです。次回は食べるのもそとでやれるといいですね。

・子どもなしだと、自己紹介も耳に入りやすい!親同士交流ができてよかったです。

・今日はカレー作り&交流時間ということでそれぞれにお話ができて良かったです。自分の子より年上の子のママとの話とかもとてもおもしろく聞けました。カレーもおいしかった。

・カレーとても美味しく頂きました。いつもは全く野菜を食べてくれないのに皆の雰囲気の中でパクパク食べてくれて。本当にありがとうございます。

・子供は保育でしたので、他のお母さん方の話がゆっくり聞けましたし、個別にも話ができて良かったです。子供も初めての保育をがんばってくれたようで、親としても嬉しかったです。皆で一緒に作業をすることで自然に話ができたように思います。

・とても楽しかったです。たくさんの方々とお話しすることができました。人数も多すぎず少なすぎず、ちょうどいいですね。

・カレー作りの間、皆さんとお話しし、親睦を深められて大変よかったと思います。気楽なおつき合いが出来て、楽しく過ごせました。スタッフの方々、どうもありがとうございました。

・たった2時間で娘は大変身しました!親の私がビックリ。12月マデすっごく楽しみです。

・ママさん達と一緒にカレーを作り、食べれてすごく楽しい時間でした。本当にありがとうございました。

・前回の自己紹介の時は、子どものことが気になってなかなかお話に集中できなかったのですが、今回改めて自己紹介があって、前回よりゆったり話がきけてよかった。

・宮前区からの参加ですが、少し足をのばした地にもお友達が出来ると嬉しいです。カレー調理は子供も一緒にできてもよかったかな?と思いました。

・前回より楽しく交流できました。やっぱり食事を共にすることは楽しかったですね。

・野外調理でのびのびした中での新しい仲間との会話が楽しく出来、うれしかったです。そして「カレーが出来上がったよ!」と子どもを呼びに行った時の子どものうれしそうな顔、楽しみにしてたという顔でした。「今日はカレーが出来たら迎えに行くね」と約束していたので…。おいしかったです。

・初めて参加しましたが、とても楽しく、又いつもおかわりをすることがないむすこがおかわりし、こういう経験、雰囲気を味わうのもいいなと思いました。

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自分たちの感じていることを整理する〜今の子育て なにが大変?〜

T.はじめに(導入として、杉山さんご自身がされてきたことを、自己紹介を兼ねてお話し下さいました。)
会社で同期だった夫とできちゃった婚で結婚、夫の片働きになった。もっと他にやりたいことあったはず、どうして夫の世話しなくちゃいけないのかとモヤモヤしていた。今は15歳になる子ども、この子がいるということだけは100%受け入れようと決めていて、この子と暮らしながら自分の気持ちもOKにするにはどうしたらいいかと考えていた。

子育てする中でいろんな問題意識が出てきて、ライターになりたいと思うように。育児サークルで「子どもと出かける埼玉遊び場ガイド」を作る話をもらって引き受け、取材に行って本を作ったりするうち、ライターの仕事も入ってきて育児雑誌の記事を書いたりした。当時はまだ育児雑誌以外にお母さんたちの本当の気持ちに添える場がなかった。「子育ては楽しいばかりじゃなくつらいこともあるよね」というメッセージに対して共感したり認めたりしていたが、「我が子をぶった」などのメッセージが来た時、どう対処すればいいか非常に悩み、育児雑誌が母の気持ちを支えることはもう無理、社会で考えていく時期にきたと思った。

「全国子育てサークルガイド」を出したのをきっかけに、厚生労働省の少子化に関する有識者会議への参加を求められ出席。その会議で世間一般のおじさんたちと子育ての世界のギャップを感じ、子育てを「分かる人だけが分かる世界」にしてはいけない、みんながとりあえず「今のお母さんたちがんばってるね」という目で見てほしいと思った。

社会保障審議会の年金部会にも参加し、全部自分の生活に戻っていくと痛感。こういった制度がうちの子や自分にどんな影響を与えるのか勉強しておかないと子ども達に申し訳ない、本当は親ならみんな少しは考えるべきことだと思った。例えば2000年に文部科学省の人から「これからは多様な選択から自己責任で選ぶ時代になる」と聞き、土日に地域で開かれる講座のプログラムを見せてもらった時「この中から息子にピッタリのものを多様な選択肢から自己責任で選んで与えることが私はできない」と思い、それは自分がこれまで経験したことがなかったことだと気づいた。

親ができないことを子どもにやらせるのは大変なこと。家族で話し合いの結果、うちでは受験をしてその中で多様な選択肢を自分なりに見つけて彼が選ぶということをやってみた。情報は少し早めに知って、どう解決するか自分で考えるためにあると思う。子育て環境研究所が、そういうことを考えて納得し、多少情報発信できるような場になれば。目の前の子どもも大事、でも外で起こっていることについても同様に考えていくべきだと思う。

専業主婦について言えば、自分は家庭内で夫と役割分担する関係になるのがイヤで、夫にも家事や子育てをやってほしい、そのために経済的に自立したいと思った。お金を得たい、自信を持ちたい、自立したい、目標は夫と同じ稼ぎ。目標は達成したが、経済的な後ろ盾があるといろんな意味で自信が湧いてくることも実感した。年金制度では、年金を払っていない専業主婦に対する優遇制度について疑問に思うことは多く、それに対して反発を感じている女性も多い。男性は奥さんのことを思って公平な立場でものを言わず、そういう状況は女性にとって不幸だと思う。優遇制度の負担を全部子どもたちが担うと思うと疑問を感じる。

霞ヶ関や永田町、もちろんたぶん川崎市役所や川崎市議会にもそういう声が全然届かない。「ちょっとこれ困ります」という若い親とか女性が全然いない。高齢の方たちが物事を全部決めている状況は疑問だ。三位一体の改革についていうと、国が補助金をつけて地方に下ろしていたお金を(地方にとっては縛りがあってやりづらいので)補助金を取ってお金として下ろす(一般財源化)、地方分権の流れの中でそうやって国から地方にお金が移ろうとしている。地方の知事が集まって3兆円メニューを出したのを見ると、3兆円のうちの約1.5兆円が、義務教育の中学校分、子育て支援次世代育成支援のお金、保育園のお金など子ども関係のお金。でもどうも一般財源化されたお金は必ずしもその通り使われるとは限らず、別のことに使ってしまう自治体もある。それなのにどうして子どものお金ばかり出されるのかと疑問に思うが、多くの人はそんなことも知らずに過ぎてしまう。

もっと議論してみんなが分かって言っていくことが大事ではないか。そういう問題意識も全部自分の子育てから発生することだが、うちの子だけでない子どもたちのことを思ったときに、できるだけいい状況にしておくためになにができるか、日々考えている。


U.話し合い
「子どもを産んで、育てて、わたしは変わった?」「こんなことを思うようになった、こうしたいと思うようになった」「やりたいことは何?」 参加者が一人ずつ発言しました。


・ 自分と違う立場の人が見えてきた。マイノリティの人の気持ちが思いやれるようになった。

・ 息子が大きくなったのでいろんなところに2人で行きたい。

・ 自分も持っていた変な性別役割分担に気づいた。

・ 経済的自立によって対等な立場になれるのかとも考えるが、今は子どもと向き合う時期とも。

・ 自分が学び意見を持ち、子どもと対等に意見交換できるようになりたい。

・ 子どもには子どもの世界があることに気づいた。

・ ぐずったり大変な時も関わっていかなくては。子どもとのいい関わりって何だろう?

・ これからは自分が自分を楽しみたい。

・ 我慢することが増えた。住む場所によって医療費が違っているのに児童手当は同じ、なぜ?

・ 子どもが生まれてからは主人は二の次、子ども中心の生活に。

・ これからは子どもと、その後夫婦2人の時間を楽しみたい。

・ かわいさだけでは子育てできないと実感。子どもは親の鏡だとも思う。

・ 子どもと遊びながら、生活もうまく平行してしていければ。

・ 自分の思うようにいかないと子どもにあたる部分も。仕事に出ることで自分にも余裕ができた。

・ 子どもに全部見られている、気をつけなくては。母親としても目標を持ちたい。

・ 子育てのストレス。子どもを育ててみないと分からなかった。年上の人はどう育てていたのだろう。

・ 消費社会、経済社会の中の子育て、そこからうまく抜け出すのが難しくなっていると思う。

・ 主人は子ども嫌いだったが、今は「子どもはかわいいな」。主人も変われるんだーと痛感。

・ 産んでみたら大変なこともあるがうれしいこともたくさんあった。

・ 結婚して子どもを育てていくうち、自分の将来どうしよう…と考えるようになった。

・ 自分の世界を持って一人でも楽しめる自分になりたい。

・ 見失いがちだが、見返りを求めないためにも、すべて自分のために動くのが基本。

・ 子どもにも付き合うけど自分のやりたいことにも付き合ってもらってきた。

・ 今はバイトと学童のスタッフ、ウマイ生き方を“今”していると思う。

・ 叱るよりも褒めることを大切に、上の子と一緒に下の子をかわいがって育てたい。

・ 「たけのこ」との出会いがあってよかった。

・ 専業主婦になり経済的自立と子育ての間で思い悩んだ。

・ 子どもが小さい間は社会から離れて自主保育や共同保育所の保育を。

・ 多様な選択をさせるために経済的なものがポイントだとも思い、悩む。

・ 何年先の目標よりも目の前の子どもに精一杯。こんなはずじゃなかったのに…。

・ 自分の親がモデル(関係性)だったと感じる。子どもには自分で更に選択肢を作っていってほしい。

・ 自分の気持ちに正直でないと子どもにと見抜かれると感じた。

・ 娘と自分の間にある関係こそが宝だと思える。

・ 親も成長の途中、お互いに応援しあえる親子でいたい。

・ 厳格な親に育てられ、親の育て方がおかしいと気づくのが遅かった。

・ 子どもには多様な選択肢の中から自分の道を見つけてほしい。

・ 最初の子の時は無我夢中、いろんな人との出会いに恵まれた。「子育ては順番だから」と言われたのが印象的。

・ 子どもに「自分自身のことに責任を持ってやりなさい」と言う限り、自分にも責任を持ちしっかり生きていきたい。

・ 一人目の時は「こどもができてうれしいな」。育児が大変になったとき、夫が分かってくれなかった。

・ 私も変わったんだからと夫への要求も大きくなった。お金のためだけに働きたくない。

・ 子育てしていてもやりたいことはやろう。今やりたいことをやって、死ぬ時に後悔しない生き方がしたい。

・ 子育てしながら畑仕事をするように、子どもを預けあいながら働ける環境を自分の周りに作りたい。

・ 夫や子どものせいにしないで、自分の責任で自由に生きていたい。


V.まとめ   杉山さんにまとめのコメントをいただきました。
子育て中の女性には宝が埋まっている、次につなげたいという気持ちをうまくつなげないともったいない。育休取って復帰するより、一旦リセットしてそこからというほうが馬力が必要、だけど選べる。自分なりを作っていけるとおもしろいと思う。例えば自主保育をやって、フリーになる時間をどう使うか。よその子を預かれる力がつくのもすごいし、かつ空いた時間をどう使うかが次に繋がる。介護ビジネス、コミュニティレストラン、パン屋…やろうと思えばなんでもできる。できないと思わないでやるということが、死ぬ時に後悔しない生き方に繋がると思う。一人だとつながりがないので、簡単にパートに出たりもできるが、時給とかやりがいとかに不満も出る。大変だけど「やった感」がほしいなら仕事を作るのもあり。モデルが増えてきた今ならできるかも。ちょうどいい感じの生き方を模索してもらいたい。

子育ては社会的でワイルドなこと。プレーパークのコンセプトは「自分の責任で自由に遊ぶ」、世間の人たちが箱に入れたがったり約束事の中で子どもを育てたりという中で「怪我したって何したって全部自分が責任を負うこと、ここで自由に遊ばせてくれ」というのは実はすごい。それをベースに子育てしていることを感じることが、市民を育てていくと思う。海外ではプレーパークの活動は「プレーパークという場を使った市民の活動」との認識を持っている。一方日本人は、社会的な背景をあえて消す感じ。本来的になぜこういうプレーパークができたのか、とか、「遊び」にこんなに夢中になっているのはなぜかと考えていくといろんな側面があるということは、隠す必要はなくて、見せていったほうがいいと感じる。

最後に、多様な選択肢について。問題は選べる子にしなきゃだめということ。選べと言われても選べなかったらかわいそう。選べる子にするために何をするか、育児書にも載ってない。全部親がやらなくてはいけない、大変だと思う。


<感想より>

・ 自分自身のことを考え、また人に話す機会のない日々を過ごしていました。今日はいいきっかけでした。私自身にも言えることですが、娘にはまわりに振り回されず自分なりの喜びや嬉しいと思う気持ち、幸せを見つけて生きていける人になってほしいです。

・ 今できる中でムクムクと仕事をしたい!と思った。

・ 前回にもまして皆さんのいろいろな考えが聞けてよかったです。自分自身をかえりみて、そうだよなぁと共感できたり、はっと目が覚めるような思いがしたりでした。

・ 自分自身を振り返るよい機会になりました。人前で話すことが苦手でそういう機会をさけていましたが、これから少しずつトレーニングしていきたいです。

・ 今日はお話しを聞けていろいろ考える事ができました。自分のわすれていた思いや考えやこれからの事とてもためになりました。

・ いろいろな方のお話しを聞いて、実感する事が多く、自分と同じ考えの方もいて、うれしく、ホッとする時間でした。子育てを通じて仲間との会話で自分自身のリフレッシュになる時間でもありました。

・ 先生のお話以上に、皆さんの話がとてもおもしろかったです。皆さん仕事をきちんとされてきた方が多く、またいろいろと感じていること、考えていることがしっかりしていて、とても刺激を受けました。私も人前でもっとうまくしゃべれるようになりたいでーす。

・ 今、自分がすべき事でなくやりたい事を見つめ直すことができました。子育ても自分からの一方的なものではなく、自分と子供の関係があるように、パートナーがいるならその相手と子供の関係も大切だと思う。お腹が空いた時に何かを食べるように、やりたい事も、それに収入が伴ってもそうでなくても、やっていこうと思う。

・ みんないろんな経験があり、いろんな意見がきけてよかったです。3年間ぐらい心にゆとりのない生活だったので、みんなの話しが新鮮でした。

・ 自分のこと改めて考えてみると、いろんな事が浮かんできました。やりたい事&子育ての両立をこれからも続けていきたい。

・ とてもみなさんのお話を聞けてためになりました。

・ 今までの子育て生活、さらに自分の人生についてまでまとめて考え直すいい機会になりました。先生がおっしゃっていた「プレーパーク」がどういうものなのか分かりませんでした。

・ 講演会で具体的なお話が聞けて勉強になりました。私も同じ世代で、偏差値で育ってきて、今はそういう時代ではないので、子どもの教育に疑問をもっていました。子供の事をじっくり考える時間をもてて、よかったと思います。

・ みんな話したいんだなーと思った。話たいよねーうんうんってかんじです。子育ては社会そのものだもんねー。

・ 人の話を聞くこと、自分が話すことで、自分のやりたいことやそのためにこれからすべきことが、よりはっきりとしたように感じました。少しずつ動いていきたいです。

・ 自分の生き方について、自分の事なのだから、もっと大事に真剣に考えたいと思いました。参加者の方がおっしゃった様に、死ぬ時に後悔のない生き方をしたいと思いました。

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遊びについてのワークショップ〜子育てしづらい?今のまち〜<

T.子どもの頃の遊びについて自己紹介

矢郷さんが、ここ高津区の二十数年前から現在までの様子を聞いていく中で、昔は山や川、田んぼなどの自然が残っていたのが、次第に自然が減り、田畑もほとんどマンションに変わったことが分かりました。
次に子ども時代をどこの地域でどんな風に過ごしたか聞くことで、私たちは北は新潟、西は佐賀という範囲で子ども時代を過ごした人たちだということが分かりました。
次に自分の子ども時代を思い出しながら、以下のような「自己紹介カード」の空欄に書き込みをした後、4〜5人ずつのグループに分かれて発表しました。

<自己紹介カード>「子ども時代を語り合おう」
(5W1H方式であなたの子ども時代を思い出して記入して下さい)
私は子どもの時に____と呼ばれていました。
子ども時代を________で過ごしました。
覚えている風景は__________です。
そこの____________で  ______と _______遊びを
よくしました。覚えているのは_________したことです。
今、考えると子どもの頃は_______でした。

U.子どもの時代の遊びから
グループの話し合いで出たことを、書き出しました。
<どんな遊び?>
色水遊び、廃材のぼり、木のぼり、 商店街走りぬけ、おやつづくり、かくれんぼ、家づくり、ダンボールで基地作り、おみせやさんごっこ、ケイドロ、ゴムダン・ゴムとび、ロクムシ(マンホールで…)、ザリガニとり、たんけんごっこ、ごっこあそび、虫とり、野球ごっこ、おしいれごっこ、花の首かざり、ブランコのジャンプ、缶けり、ドッジボール、竹馬、たこあげ、ボールなげ、はだしで歩く、迷路歩き、ケンパ、石けり、缶ポックリ、ピンポンダッシュ
<どんな場所で?>
廃材置き場、商店街、田んぼ、浄水場跡地、空き家、納屋、神社、寺、川、森、池、社宅の中庭、空き地、家の庭、団地の階段、裏山、ガケ、材木置き場、校庭、公園、隣家、道、通路
<どんなもので?>
ビールの飲み残し、花、石、ロウ石、チョーク、ゴムなわ、ビールの王冠、一升瓶のフタ、牛乳のフタ、(家のへこんだ)ナベ・カマ、ボール、棒切れ

矢郷:これを見て気が付くこと。今から25〜40年くらい前ですが、みんなよく遊んでますね。子どもの時は男女の区別なく遊んでいて、男っぽい遊び(基地作り、廃材のぼり、探検ごっこ、木のぼりなど)もいっぱいしてきたことがよく分かりました。次に、自分の子どもがこの地域の中で今、この中のどの遊びがどんな場所でできるか、考えてみました。
<どんな遊び?>
色水遊び、木のぼり、 かくれんぼ、家づくり?、 ダンボールで基地作り?、おみせやさんごっこ、 ケイドロ、ゴムダン・ゴムとび、ロクムシ、ザリガニとり、 たんけんごっこ、ごっこあそび、虫とり、野球ごっこ? おしいれごっこ?、缶けり、ドッジボール?、 たこあげ?、ボールなげ?、はだしで歩く、 迷路歩き、ケンパ、缶ポックリ、ピンポンダッシュ
<どんな場所で?>
人工のせせらぎ
社宅の中庭、
公園、
通路
<どんなもので?>
花、石、チョーク、ゴムなわ、ペットボトルキャップ、牛乳のフタ、ナベ・カマ、ボール

さらに、遊んだときの気持ちを書き出しました。

<遊んだときの気持ち>
・遊びになりきっていた/・まわりを気にしなかった/・服も汚して夢中になって/
・強く・たくましく・積極的/・いつも友だちのあとをついていた

子どもの時、どうして今遊べない場所で遊べたり今できない遊びができたのか、グループで話し合って考えて、今と昔で環境はどう変わったか、一グループにつき3点ずつ紙に書きました。

<今と昔、環境はどう変わったか?>

・ 遊び場が減った。(公園ぐらいしかない。車が増えて路地でも遊べない。)

・ 遊べる場所が少ない。

・ 遊んでOKな場所が少ない。

・ 場所が管理されるようになった。(=所有者がはっきりしている)

・ 昔は小さい頃から親が一緒でなかった。

・ (昔は)3,4歳から子供only(だったのが)、子どもの遊びに親がついてくる年代が上がってきている。

・ 周りの目

・ キケンが多い。

・ 危険って言いすぎる(幼児は外で遊ぶの親付き)

・ 制限が多い

・ 子どもの安全のために(危ない目にあわないように、人に迷惑をかけないように)親が規制してしまう。

・ 子どもが遊べるまとまった時間がない。(アポなしで遊べない、仲間が集まりにくい)

・ 子どもが遊び以外のことで忙しくなった。(おけいこ、じゅく)

・ 子どもだけで遊ばせられない。

・ 遊び方が変わった。(ゲーム、子どもも好んで外で遊ばない)

・ ゲームの出現

・ 外で遊ぶ子が少なくなった。(ゲーム、おけいこなど)

・ ゲームは遊びの割合を多く占めている。


矢郷:これらを見ながら整理していきます。

●おみせやさんごっこ、ケイドロ、ゴムダン、ケンパに迷路歩き・・・意外と今もできている遊びは多い。特徴的なのは、遊び場がものすごく減っていて、しかも、せせらぎの道の人工の川や公園、通路、中庭など人が手で作ったところになっているということ。遊び場が減った大きな理由は「場所が管理されるようになった」こと。公園や校庭など、人の手によって作ったものには必ず管理がついている、これが今の子ども達の遊び場のすごく大きな特徴です。

●それから「昔は小さい頃から親が一緒ではなかった」「今は子どもだけで遊ばせられないが、昔は3、4歳でも子どもだけで遊んでいた」。すごく危険なことや男の子みたいな遊びをやっていたとき、親や大人は近くにいなかったはず。親や大人の存在は、子どもの遊びにとって煙たいもの。大人が親がいないほうが、子どもは一生懸命遊ぶ。これは子どもの遊びにはとても大事なこと。

●そして今は確実にすべてのものに、「所有」というものがついている。昔は自然も多く、子どもが遊べる自然が身近にありました。では今この高津区に自然はないか?小学校の裏山があったり、例えばマンションの周りにも緑や花を植えていたりする、でも所有がしっかりしているから、木一本誰のものか決まっていて自由にできないし、子どもの時のように空き家や空き地にも入れません。

●「子どもが遊べる時間がなくなった」「遊び以外に忙しくなった」「子どもだけでは遊ばせられなくなった」、これは子ども自身が選んだことではありません。子どもはみんなが小さかった時と同じ、強くたくましいし、危険なことも怒られることもする。だけど本当に子どもが遊べない環境になった理由は、管理があって所有がはっきりしていて常に大人や親の目があるから。昭和50年頃からこの傾向が強まり、特に90年以降、バブル期で空き地がなくなり駐車場にも入れなくなった頃から急速に子どもの遊ぶ場所が奪われてきました。

●もう一つ問題になっていること、それは、子どもだけで遊びに行かせられるほど地域は安全か?ということ。今は危険がいっぱいだから、大人の役割は危険から子どもを守ること、そのために子どもの後ろにいつも大人がついていなくては…となりますが、でも大人がつけばつくほど、危険から子どもは守られるが、子どもは危険なことをしなくなります。昔はみんな危険なことをやっていた。木登りしたり廃屋や空き地で遊んでいて、体の危険を感じたり、知らない人に声をかけられたりしてヒヤリとした体験があるでしょう? そんな体験と共に、子どもをもう一度遊びの世界に帰してあげなければ、今の子ども達はみんなが子どもの頃に持っていた遊びの世界を体験できません。



V.プレーパークについて

矢郷:今の子ども達にとって遊ぶところが公園しかないなら、そこで子ども達がもっと自由に遊べるようにしようと作られたのがプレーパークです。プレーパークには危険がいっぱい。子どもが健康に、創造的に、自主的に育つために必要なことです。それともう一つ、親以外の大人=プレーリーダーがいます。親は自分の子を管理監督しようと心が動くので子どもの前で自由になれないし、そんな親のそばでは子どもも自由にやりたいことができません。プレーリーダーは、管理や規制から離れて、木のぼり・穴掘り・基地作り・泥遊び・火遊び…など、子どもが自由に遊べるように遊びの環境をつくる人です。プレーパークは行政ではなく住民によって運営されています。行政が管理する限り、行政は責任を免れないからです。公園を誰がどんな状態で使っても管理責任を問われないためには、遊具の安全基準を定め、遊具や公園の使用を制限するしかないので、行政が管理する公園には都市公園法がかかっています。この法律はとても不便なもので、例えば公園でキャッチボールもできない、自転車の乗り入れもできない、花を植えることさえできない、公園の今の形態を一切崩すことができないのです。でも都市公園法をはずしたプレーパークでは、穴掘りや基地作り、料理、それに小屋作りも木工遊びもできます。川崎には行政がサポートしている「夢パーク」と、地域で住民が自主的にやっている有馬ふるさと公園(ポレポレ会)や幸区の夢見ヶ崎プレーパークがあります。全国には170ヶ所ほどのプレーパークがありますが、日本での発祥の地は1979年に作られた世田谷の羽根木プレーパークです。さらにさかのぼると、プレーパークは1943年にデンマークで始まりました。第二次世界大戦の戦火の中で、また少子高齢化が進行して子ども達が活気を失いがちな静かな社会の中で、「子どもが本当に自由に創造的に育たなければこの国の未来はない。子どもは、活気を持って、創造的に、自主的に。この3つが子ども時代にきちんと作られていくことが次世代のいい国家を作る」と考えたデンマーク国王が作りました。「活気を持って、創造的に、自主的に」育てるために、「遊び」はとても大事です。でも子どもがどれほど遊びたい意思を持っていても、その地域の環境が乏しかったり大人が遊びにきちんと目を向けていなければ、今の日本ではどんどん遊びづらくなる。今の大人の一つの役割として、子どもの遊びの環境をいかに作ってあげられるか、というのがあると思います。


プレーパーク = 行政ではなくて住民によって運営されている

・自分の責任で自由に遊ぶ

・危険がいっぱい

・大人がいる≠親ではない
⇒プレーリーダー  管理や規制からはなれて子どもが遊べるように遊びの環境をつくる人



W.乳幼児のためのプレーパーク(資料より)

矢郷:仙台や福岡、西宮や横浜でもやっている乳幼児のためのプレーパークイベントの紹介記事です。どうして乳幼児にもプレーパークか? それは乳幼児期の子どもたちもまた、自由に創造的にひとりで遊ぶ権利を持っているからです。元来子どもは、意外と1人や2人の小さい世界が楽しいもの。いつも群れて遊んでいるわけではなく、豊かな環境さえあれば、自分のファンタジーを育てるために、ひとりで座って外を見ていたり穴を掘ったり、火の光を見たりします。今の社会は、子どもがひとりで遊んでいることを豊かだとは思わないのか、どちらかというと心配する人の方が多いですが、子どもが自分でファンタジーを育てる瞬間みたいなのがあって、そういう瞬間を一生懸命子どもに返してあげることは乳幼児期でもとても大事なことです。また今は、家の路地や裏庭など、ごっこ遊びにうってつけの空間もなくなりつつあるので、木陰にござ敷いて道具も使ってごっこ遊びなどもしてもらえるといいと思い、そんな場所作りも進めていこうとしています。



X.質問〜「自分の責任で自由に遊ぶ」ということ〜

受講者:プレーパークについては肯定的に捉えたが、責任を負うのは大変だとも。今までに大きなケガや事故はあったか?

矢郷:羽根木プレーパークでは、小さな怪我も含め、医者にかかるような事故や怪我が年間20件くらいあるそう。以前ターザンロープから落ちた子どもが大腿骨を折ったというケガがありました。そんな時は、リーダーが救急車を呼んで子どもの応急手当をして病院に連れて行くのと平行して、世話人会が怪我や事故の経緯やプレーパークの主旨をお母さんたちに伝えに行きます。「ここの遊び場は自分の責任で自由にやっています。怪我をしたのはとても残念で、子どもにはかわいそうなことですが、この怪我や事故もあなたのお子さんの責任です。自由に遊んだ結果だと思っていますので、どうぞ行政責任みたいなものを問わないで下さい」とお願いに行ったりするなかで「子どもはこんな風に怪我や事故を通して成長していくもの、怪我もこの子にとってみたらいい経験だった」と必ず理解してくれます。
冒険遊び場の一番大きなことは「自分の責任で自由に遊ぶ」。それはどういうことかというと、どんな事故や怪我もここで起こったことはあなたの判断であなたの責任ですよということで、これは乳幼児でも一緒です。なぜかというと、「自分の責任で自由に遊ぶ」ことが浸透していかない限り、先ほど出た行政責任のように、誰かが責任を取らなくてはいけないからです。

受講者:子どもを遊ばせるのにも親にも覚悟がいるんだな、と感じた。

矢郷:昔の親は忙しくて覚悟もなにもなかったろうが、今のようにいつも子どもの後ろを歩いていたら大変。また自分はいいと思っても周りの目が気になって子どもを怒ったりすることも。結果みんなが本当はこのくらいやらせたいと思うこともできなくなっている。プレーパークもいいけれど、例えば土と水と草で遊べる環境をつくって子どもを自由に遊ばせ、何人かのお母さんが当番になって他の人は公園の外のベンチで待っているなんてことをやってみると、何より親が楽になる。「自分の責任で自由に遊ぶ」を広げながら、一人一人の親が自分の子どもについてなくても遊べる環境をつくるということが、大きなテーマです。



<感想より>

・ 今の子供の遊ぶ環境にとても考えさせられました。子供につきっきりな今の状態、少し、子供達だけで見守ることも必要かなと痛感しました。とてもいいお話で、よかったです。本当にありがとうございました。

・ 楽しかった。自分の小さい頃をいろ〜いろ思い出せてうれしかった。乳幼児のプレーパーク、かかわりた〜い。

・ 現代の親は(自分も)、すごい過保護だなぁとあらためて感じました。

・ 自分が幼き頃に遊んで来た楽しかった事を思い出したが、今、自分の子ども達はその中のいくつ出来るのかと・・・・何だか残念に思う。プレーパークの話はとても興味ありで、ぜひ次回も楽しみにしてます。

・ いろいろな視点でとらえることが出来てよかった。環境の責任ばかりしていたように思う。子供遊びの環境作りを今一度考えようと思う。創造的、自主的にもう少し力をいれられるよう考えなくっちゃ!!

・ 子どもがひとりで、自分の世界を広げて、浸っている時間を保証するというのにとても共感しました。子どもの時間をやたらと大人がいじりまわさない方がいいんだなぁーと感じました。

・ 2時間とっても楽しく夢中で過ぎてしまいました。プレーパーク絶対行きます。

・ 自分が子どもの頃と比べて今の方が遊びにくい環境になっていることがよくわかった。プレーパークについては、テレビや新聞、マンガ(!?)などで知っていたが、行ったことはなかったのでぜひ行ってみたいと思う。

・ 矢郷さんのお話を聞けて、とてもよかったです。自分の時代と今の子供の遊びがだいぶちがうのをじっかんしました。

・ 自分の幼少時代を振り返って、たくさんの遊びやその時の気持ちを思い出すことができた。そして今の子どもたちにもっと遊ぶ場所・環境を作ってやりたいとも思った。今日から、子どもの遊びを見る目がまた変わりそう。

・ 今は子どもを思いっきり遊ばせることが難しい。私自身どこまで見守ることができるかわからない・・・。でもその時にやりたい事を夢中になってやることはとても気持ちいいから、自分の子にも体験してほしい。私ももっと勇気をもって接したいです。

・ 自分の子ども時代と今の子どもの環境ががらりと変わっていることに改めて気がつきました。あまりしからないでもっと自由に遊びができるといいなと思いました。

・ プレーパークとても素晴らしいものだと思います。大人が故意に関わらない限り、死ぬ程のケガはないような気がする(例外を除いて)。ただ、子供が1人で行ける場所にそれがないのだけが残念です。

・ 今日は自分の子供の頃と今の子供たちとの違いを改めて感じました。私はプレーパークの事はあまりわからないので、これからいろいろと知りたいです。

・ とても素敵なお話でした。わんぱく遊びをじゃんじゃんさせたいのですが、ここでは出来なくて困っています。実家に帰省している時は稲刈り後田んぼでとんぼとたわむれたり、畑で野菜のもぎとり(先月は栗拾いをいがからぬきとったり)などが出来るのですが、メインとして住んでいる川崎にたくさん遊べる環境があったらと思います。

・ 考えてしまうときりがないほど心配になってしまうので、ついついそばについてしまうのですが、今日のお話しを聞いて、自分の小さい時ワクワクドキドキした楽しく遊んでいたことを思うと、もっともっと自由に遊ばせてあげたいと思いました。

・ 子供に豊かな体験をさせたい、と思っていてもそれが遊びだけでいいのか・・習い事も必要かなとか、遊んでばかりでしつけは・・とか迷うことばかりでしたが、子供の頃の遊びを思い出して、やっぱり遊びは大切との想いを再認識しました。そして今の時代、子供に豊かな遊びをさせるためには、親もそれなりの覚悟と責任の取り方が必要なのだなと実感しました。“乳幼児の自己責任”についての話を次はもう少し聞きたいです。

・ プレーパーク発しょうの地デンマークの王国のかかげた理念、活気・想像力・自主性が今を生きる我々の子供にとってもとても大切だと思います。社会福祉の先進国にはこんな素晴らしい歴史があったのですね。感動しました。子供たちの“やりたい気持ち”にあまり制限をせず、色んな事に挑戦する勇気が育つことを願います。そして何かあった時には一緒に考えたり応援できる大人になりたいです。

・ ひとりっ子の女の子で、自分のファンタジーの世界でどっぷりあそんでいます。乳幼児も自分の責任で遊ぶっていい考えですね。次回講座もたのしみです。

・ 親や大人の目のないところで危険を感じたり、知らない人に声をかけられたりしてヒヤリとする、そんな体験も必要なんだよと、はっきり言ってくださったのが印象的でした。こどもたちが大きくなるにつれ、こどもの力を信じるには覚悟が必要だな〜と思う今日この頃です。「自分の責任で」といった場合、こどもに負いきれないほどの責任を負わせるのは酷な気もしてしまいます。乳幼児に負える責任ってどれくらいだろう?「乳幼児も自分の責任で自由に遊ぶ」、心からそう思えるようになるには、もう一つ壁を越える必要があるような気がしてきました。

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話し合い〜こどもの遊び、どう見守っている?〜

T.身近な公園をこどもが本当に遊べる公園にするために

(矢郷)みんなのうちの近くに、次のような空き地があると想定して下さい。右手の大きなケヤキの木がシンボル。左奥には高さ1.5mくらいの段差の小高い場所があり、その横に杉のような針葉樹の木が3本。段差を雨水が流れて小さな池のようになっていて、そのまわりに草が生えているところ(ブッシュ)があります。通り側につげのような垣根があります。この土地を公園にするために、市の公園課の職員がヒアリングに来ました。この中で3点くらい残したいものを考えて、その理由を教えて下さい。(該当するものに挙手して、その理由を発表しました。)



@ ケヤキの木(16人)・・・自然のもので木登りさせたいから、シンボル的なものだから、木陰だから

A 針葉樹の木(1人)・・・3本全部切らなくても1本くらいは残ってほしい

B 水が流れてできた池(21人)・・・こどもは水が好き、アメンボとかもいる

C 段差(21人)・・・平坦なところと違う、上にのぼろうとする、景色を眺めたり、ダンボールすべりしたり遊びでも使う

D ブッシュ(2人)・・・落ち葉が落ちたり虫や小動物がいたり、かくれんぼや探検ごっこができる

E 地面が土(14人)・・・はだしで気持ちがいい、掘って遊べる、照り返しが少ない<

F 入口のつげの垣根(0人)

G それ以外(0人)

みんなの意見から、ちょっとしたせせらぎ、変化のある地形、木登りできる大きな木、土などが遊びにも使えるので希望が高いということが分かりました。今度は町会の人たちに意見を聞きに行きました。どんな意見が出るか、想像してみて下さい。

ブッシュ・・・風紀的に危ない。痴漢にあったとか変な人がいるとか言われても解決できないし、連れ込まれたりしたら大変。

水たまり・・・ボウフラがわいて蚊が出る。今の親は3センチの水でこどもがおぼれても文句を言う。管理できないから、せめて水道があればいいのでは。

ケヤキ・・・落ち葉の掃除が大変。公園にあっても掃除する人がいない。町会に言われても困る。ケヤキの代わりに、落ち葉も落ちない、なんとなく緑であまり大きくならない木を植えれば。

段差・・・陰にこどもを連れ込まれるかも。ゲートボールするにも邪魔。でこぼこだけ残しても・・・。

地面が土・・・羽根木公園で昔、子どもが水たまりに山を作って遊んだ後、水が蒸発してでこぼこになった地面につまずいて転んだ人が、ワイシャツのクリーニング代を公園事務所に請求に来たという話も。ぬかるみは歩くと汚れる。草も生えず、虫も住まなくなるが小石や石灰の入った浸水性のある人工の土に変えてはどうか。

つげの垣根・・・風紀上見通しが悪い。見通しのよいフェンスに。
オムツ替えもできる長いベンチはホームレスが寝ると困るからダメ、不便だが一人用のイスに。飲食されるとゴミやカラスが大変だからテーブルはダメ・・・

で、従来通りのすべり台と砂場がなんとなくできる。こんな経緯の中でできる公園はこんな感じ。照り返しはある、雨が降ってもしのげない、遊んでる姿が丸見えでいつも誰かに見られている感じ。創造的にさせるものがないから遊び込める公園でもなく、すぐ飽きてしまう。

ではどうすれば本当に遊べる公園ができるのか?
公園を作る時行政が一番心を痛めるのが、@風紀の問題 A管理の問題 B事故や怪我の問題。これをクリアするために住民・利用者が公園作りに参加することが鍵を握る。
冒険遊び場では@遊びの環境を守る A遊具や道具・その場所の使い方を管理する B「自分の責任で自由に」ということを伝えて行政が事故や怪我の責任を第一人者として取らない体制をつくる、の3つができている。「私たちの責任で勝手に遊びに来るから」では行政は管理責任を逃れられずこの環境はつくれない。でも管理もした上で自分の責任で自由にやるということであれば、行政は考えようとしている。

東京オリンピック(昭和39年)は、新幹線や高速道路など日本の国土開発が進む契機になった。40年代にはアスファルトの道路ができマイカーブームが来る。交通事故が深刻化する中で、こどもが自由に遊べるところを街の中に作ろうと児童館や児童公園が盛んに作られてきたが、同時にその限界も見えてきた。その頃海外の冒険遊び場を見た大村夫妻が区の土地を一時借用して短期の遊び場をはじめたのをきっかけに、1979年に羽根木プレーパークができた。



U.羽根木プレーパークのスライド(乳幼児の遊び)

・ ロープで電車ごっこしているシーン。自主保育の子ども、歩き始めたこども達がこんな風に遊びを誘いあっている。

・ 羽根木プレーパーク。きたなくて作りかけのものが転がっていて、地面はでこぼこ。こどもがほうきを持っている。こんな生活くさいものがあると、ほうっておいてもこどもは自分でドラマを作っていく。

・ ベニヤのテーブルの上で番傘さしているこどもと、ハンドル持って車掌をやってる女の子、まいったなという感じ。

・ 自主保育の4、5歳の男の子。1.5mほどの鶏小屋の上に立って、一人で踊ったり歌ったりしている。彼にとってはステージで、その下の鶏はどう思っているか分からないけど、彼も一人なら鶏もひとり、そんなところ。

・ 水の出ているホースの筒を地面につけると水が止まり離すと水が出る、それがおもしろくて1歳くらいの子が2時間それをやり続けている。こんな小さいこどもでも科学する心、不思議を楽しむ心がある。誰も止める人がいないのもすごい。

・ 落ちてるものを集めてままごとをやってる子、木と木の間に垂らした布をハンモックにして入ってるこども、その横を歩いてくるこども。こどもって見てるだけで遊びを覚えたり遊んでたりする。いろんなものが拾って遊べるっていいな。

・ 寒い冬、さかさまの一輪車の上に乗って車掌さんをやってる子と、一輪車のワッカで落ちていた草を切って遊んでいる4、5歳のこども達。格好の遊び場を見つけた。

・ 2歳くらいの男の子が小さな山を作って缶で水を汲んできて、タンポポさしてひそひそやってる。その横で座ってるこどもは横にいるだけで一員みたい。

・ 自主保育をやっている子たち。来るとすぐに裸になって泥と草でケーキを作りはじめて横のテーブルに並べ、いっぱいになるとお母さん達にご馳走。9時から3時位の間中ずっとケーキを作り続ける、それをひと夏ずっとやっていた。

・ 10人も15人も戯れてるシーンはあまりない。この子は地面に座って掘ってるのか見つめてるのか、それも遊び。まわりにバケツやみのが落ちている。大きな木の上で本を読むこどももいて、自分で登れるこども達にはこんな遊びもある。

・ リーダーやこどもが作った手作りの小屋の中に入っておみせやさんごっこをしている幼児たち。小さな窓を通して中と外でやりとりしている。つくりかけのものはイメージを湧かせる。ドラマのある世界が繰り広げられる。

・ 地上5mくらいの高さにある、しいの木の上に作った小屋に付けたハンモックに揺れて遊ぶこども。

・ 金ダライと棒でなにか作ってる子、パンツまでまっ茶色で四つんばいの子、シャベルを持ってる子。塀の向こうはびっしり民家、でも垣根の緑があるからゆったりした雰囲気がある。大人たちが工夫する以外こういう緑は残らない。

・ 夏は、くぼみにシート敷いて水を入れて作ったプールで体とパンツを洗って帰っていく。大人たちがそうするのを見て、ある日2、3歳のこども達が真似をして、なべを集めたりシートを引っ張り出したり。水を入れて足をつけて遊んでいる。

・ ちょっとしたでこぼこも遊びの中で使いこなせる。自主保育グループの本読みシーン。お母さんの横で勝手に本を読んでるこども、指をくわえて聞いてるこどもたち。

・ 木と木の間に一枚のシーツを張ってステージと観客席を分けてクリスマスの劇がはじまる。普段遊んでる場所がちょっとした工夫とアイデア次第でステージにもなる。そんな風に空間を使うのは楽しい。

・ はらっぱプレーパークで開かれたプレーリーダーの結婚式。バージンロードもウエディングドレスも地域の人の手作り。

・ 結婚式の後の中学生たちのバンド。仮設の台所横で団子作ってる子。まわりは彼と関係ない、一人ニコニコと団子屋。

・ ちゃんばらをやってる子ども。ここにはプレーリーダーの衣服の洗濯物やペンキを塗る足場などがあって、そこがちゃんばらの舞台になっている。生活くささの中で大人とこどものものがうまく混ざり合っている。

・ 男の子3人でひそひそ。しばらくして行ってみると今度は屋根の上に乗ってステージをやってる。小さく座ってるかと思ったら今度は屋根の上、その変化がおもしろい。

・ 地面にホースを埋めてできた泉で、こどもがしゃがんで水を汲んでる。ちょっとした工夫でファンタジーが生まれる。ファンタジーを育てることは遊びの原点。放置してある自動車で遊ぶ子ども、大人は自動車が危なくないように見ている。

・ 水遊びしてぬれてしまったおしりを乾かしている。プレーリーダーの役目はおしりが乾くまでの話し相手。

・ 自主保育の卒会式、ギターを弾いてるプレーリーダーとこども達。手作りの遊具や小屋が風景を作っている。

・ 雨の日の羽根木プレーパーク。地域の人とリーダーで作ったリーダーハウスは、登って遊ぶ子がいたり、話し合いが行われたり、リーダーが仕事をしたり、着替えたり・・・といったことに使われている。

・ これはスウェーデンの遊び場。広い森や公園の中にあって、大人も子どももゲートをくぐって遊び場の中に入ってくる。

・ 小学校3年生以上くらいの子どもが自分で小屋を作り基地にして、家からいろんなものを持って来て使い始める。

・ 火で遊ぶのは大きな要素。いろんなかたちのかまどがある。ここでクッキー焼いたり、棒にさしたマシュマロ焼いたり。

・ そういう傍らで日本と同じ地域の大人が、臨時にカフェをオープン、ナンを焼いてくれた。以上海外編、おまけでした。



V.質問を受けて

<公園での水の使い方などの苦情が公園課に寄せられる、歩み寄りのきっかけは?>
きちんとなだめる方法はないからそれぞれに対応している。当初は地域の人たちの苦情を打開するために月に一回近所の人たちを招いて食事会をしたことも。火の始末ひとつとっても、顔が見えると安心できる。行政や地域の対応をして環境を作る努力をするのが世話人、プレーリーダーはこどもの遊びの環境をつくる人。そういう役割分担をしながらやっている。


<プレーリーダーや世話人はボランティア?>
親とは別にプレーリーダーがいる方がこどもも遊ぶし、遊んでくれる大人がいたらこども安心して遊べるし親も安心できる。今日本ではプレーリーダーを雇用していこうという動きが高まっている。でも実際に雇用できる団体は少なくて、世田谷でも給料17〜8万が精一杯。世話人はボランティアで地域の大人たちが1、2年間かわりばんこに務めている。


<プレーパークで自主保育できればいいけれど近くにはない>
遊びやすい公園を見つけることが重要。面白そうな場所があったらまず使ってみて、自分たちでプレーパークを名乗って看板立ててみたり。自主保育で使って遊びや環境の楽しさをニュースレターで伝えて仲間を増やすというやり方もある。コミュニティガーデンとして公園に花や木を植えて土にふれることも活動の第一歩になり得る。プレーパークでも自主保育でも、大人が遊んでやらなければこどもが遊ばないというのは不便だから、それを逃れるためにはおもしろい場所を見つけるしかない。休耕田、畑、河川敷・・・そういう場ではこどもは勝手にやる。小さな遊びやこどもがかたまってたりするのを遊びと認めていけば、うまく回っていくと思う。

「自主保育の当番なんてできるかしら」と思うかもしれないけれど、散歩、裁縫、畑仕事、ショッピング・・・その人が好きなことをしたらいい。あまりこどもを遊ばせようと考えないほうがいい。人数が多いからいい自主保育、いい遊びができるとも限らない。15人くらいならその子の個性も分かるが、多くなりすぎると自分の子しか見えなくなる、他のこどもの育ちも見えづらくなるし、関係を作れなくなることもある。お母さん達5,6人集まったら、例えばダンボール持って行ってがけすべりも楽しい。そんなことができる仲間を作ることが大事。


<自主保育で現在11家族子どもが19人、これ以上増えてやっていける?>
「ひろば」だと預けあいで25組くらい。30人はきつい。15人くらいだったらやりやすいかな。話もしやすいし2DKの家にも何とかおさまる。1、2歳の子を預かりあうこともあって、そんなときは小さなこどももうれしそう。親も自分の子だけならしないことに付きあう気になったり、そういうのが楽しい。勉強したい、習いたい、映画を見たいというと預かりあうような関係ができてくるし、小さい子を通して自分も育っていける。


<乳幼児も自分の責任で自由に、でも2歳前の小さな子も放っておいて平気なのか・・・>
羽根木でも1、2歳の子は這い回っている。時間を区切ったりはするが、2歳くらいになるとある程度遊べる。仲間がいたらこどもは勝手にやってくれるから、親として判断する場面も少なくなる。常に自分が媒体しなくちゃならないのは大変。自分一人では躊躇することも仲間がいたらできる。親子で火の近くに座ったりして場に慣れていけば。


<お父さん達が中に入ってくるためのきっかけ作りは?>
冒険遊び場は父親が入りやすい。とんかちのこぎりで何か作るとか火で料理するのは好きなはず。できるだけそういう場に連れ出すのは大事。プレーパークには、ぜひこの講座の中でも一度みんなで行ってみるといいよ。


W.女性のリレーションシップを深めるワークショップ

女性の持っているパワーを出しあえるようなワークショップの一部分。人間関係できついことがあった時に、どうやって自分の心の緊張を解いていこうかと旅をする中で、自分の中で意識が広がっていくような体験をして、その時もらったビジョンを絵に描きました。これはその中の8枚をポストカードにしたものです。(カードの中から、印象的だと思うものを一枚選んで、選んだカードの人に名前を付け、その名前とカードを選んだ理由を話しました。)


<夜に聴く声>・・・静寂の中で聴こえる声、神の声のようだけど本当はすべて自分の声。それを聴くことは大きな力になる。インディアンの人たちは直線的に宇宙と繋がっている。彼らは常に何かのスピリット、精神とつながっている。ヤギは次に行く手への導き手のように私には見えるので、夜に声を聴きながら新しく来る出会いや世界というか社会というか明日というか今日というか、そんなのを待っている、そういうカード。


<龍が生まれる夢>・・・ドンファンという有名なメディスンマンの言葉の中に「人は一生懸命何かを考えている時、その人の心の中に卵を温めている」という言葉がある。何かに一生懸命になっているときは自分の心の中に卵がある。この人も自分が温めた卵を大事にして、その中から龍が生まれてきた。一生懸命何かを見つめるのは大事なこと、そのことによって生まれてくる卵は次の夢を、現実を生み出すものになる、そういうカードです。


<新しい大地で私は生まれる>・・・「私は生まれる、見知らぬ大地で」著者のエミー・タンの小説に心が震える思いがした。どんな人も後にはおばあさんのおばあさんのそのまたおばあさんの歴史とか命の塊を持っていて、その命が引き継がれて私がいて、私がまた新しい命を産む。そういう歴史を背負っている私はどんな時でもどんなことがあっても、自分を生まれ変わらせることができるだけの力を持っている。困難や苦しいことにぶつかっても、蝶のようにそこから脱皮してまた新しい自分が開けていく、そんな女の人の再生を描いたカード。


<境界で羽を拾う>・・・毎日同じように続いている生活が、景色が変わるようにある時変わることがある。「今日からなにか新しいものが始まった」「あの問題はもう後に去って、私に来るのは今までと違った時だ」と感じる時があって、その境にいる時にそれを知らせるサインが来る。サインをきちんと見ていくと、辛くて別れたものも、うまくいかなかった人との出会いも、すべて約束されていたことで必ず意味があると分かるから、変化していく自分の変化していく瞬間を大事にしてほしい。変化するときのメッセージを大切にしていくと、思いがけないいい世界が開けていく、そんなカード。


<忘却は祝福である>・・・マリアカランスのCDの歌詞に「神は大きな愛である」「神の大きな愛の一つの大きなものというのは忘却だ」、つまり忘却こそ神の愛であるとあった。忘れることは悪いことだと思いがちだけど、忘れることさえ愛に包まれた行為であり、神聖な行為であるということに衝撃を受けた。忘れるということが私たちの力になる、それも神の愛だと思った瞬間にいろんなことが楽になる。忘れることすら愛の力に任せなさいという、そんな一枚。


<私は幻視で花の咲くのを見る>・・・私たちはみんな、天から与えられた力、願うことはすべて叶えられるというパワーを持っている。「私はこれしかできない」と思い込んで、なんとなく一人の決まった人間としてここに座っていたりするが、心の中にはもっと自由にいろんな人が住んでいる。カードに描いた8人がみんなの心の中に全部住んでいるかもしれない。この人は少女の私。正義感があって力強くてまっすぐな、少女みたいな自分に気づく時があるでしょう。そういう力があなたを助けてくれるから、なにかやるときにすべて自分の力でやりきらないで、半分はそれに任せて物事をやって下さい。


<子どもだった私を残して私は大人になった>・・・私たちは親から教えられた育てられ方でしかこどもを育てられない。監視して管理する親に合わせようとしていた私はこどもの時、緊張してたのかも。やっと、こんな風に無邪気に歌ったり踊ったりする自分も残っているのかなと思え、自分の中に住んでいるこどもを描きました。みんなの中にも無邪気な、歌ったり踊ったり飛んだりするこどもがいて、あなたの朗らかさを助けてくれる、そんなこどものいることも忘れないで。


<ビジョンは夜明けのように訪れる>・・・いろんなビジョンがわいてくる瞬間、思いがけない自分の力を発見することがある。心の中に住んでいる女の人って身体もしっかりしているし腰もしっかりしていて、きちんとした目をしてきちんと歩ける。そんな人があなたの中心を支えていてくれることをどんな時にも忘れないで。


見えるあなただけがいつもあなたではなくて、時には夜に自分の声を聴いてみようとするちょっと能長けた自分、老人のような知恵を出す自分がいたりする。均衡を保とうとする少女らしさを持った自分もいたりするし、夢を生みだすことに夢中になる自分もいたりする。そういう自分がいっぱいいることが分かっていくと、いろんな自分に力がつくのかなと思います。今日は30分付き合ってくれてありがとうございました。



<感想より>

・ プレーパークの話、スライドや実際に公園作りを皆で考えていくといった例を交えながらで、とても分かりやすかったです。子供が豊かな遊びを体験できるか、親の心がけしだいという言葉、分かっていたけれど痛いところをつかれた感じです。でも前向きになるいいきっかけをもらいました!後半のワークショップもとても興味深かったです。自分のために自分のことを考える時間、とても貴重でした。

・ 先週の遊びの話やこれまで読んだり聞いたりしていたプレーパークで子ども達がどんなふうに遊んでいるのか想像するだけだったのですが、スライドで子ども達が自由に遊んでいる姿を見て、子ども達や夫と行きたい気持ちになりました。

・ 公園の事など考えたことがなかったが、今の公園になるのは、管理・事故責任などいろいろなことでできてることなどが分かり親がいろいろ考えたりしなくてはと思った。

・ 「大人(親)が先にやらないと、子供は遊ばない」と思っていたので、「遊ばせようとしなくても、子供は遊ぶ」というお話を聞いて、もっと手を抜こう!と思いました。

・ とても素敵な講義でどんどん吸い込まれました。プレーパークは子どもの遊びの原点といった感じでたくましくてスライドをみてわくわくしました。頼もしく是非自分の子どもにも経験させたいです。Last30分の女性のための講義はかなりいやされました。1つの絵を選ぶことで自分の心情を気づかされたりわかってもらえる人がいるということで安心したり感動したりと涙が出そうでした。

・ 長崎でPCを使った殺人事件が起きている世の中で、今日は自然とふれあう大切さがよく分かりました。身近に自然が感じられるように、日々意識して過ごしたいと思います。

・ プレーパークのスライドを見て近くにあればいいなあと思いました。でも管理、維持するのも大変そうですね。子供に自然にふれあう遊びをさせたいです。

・ プレーパークは大好きでよく通っていますが、改めて、この公園の必要性を感じました。生活くさい場所、科学する子供、ほっとかれることが少ない近所の公園とプレーパークのときの我が子の顔つきは全くちがい、親もプレーパークの方が見守っていられる雰囲気で、楽だし楽しいです。もっと広がっていけばいいな。

・ 羽根木のプレーパークはこどもが小さい頃、何度も足を運ばせていただきました。なぜか子ども達はあの場所が大好きで、皆よく遊びました。感謝しているとともに、ああいった場所をささえて下さっている人たちのご苦労に思いをはせると何も行動していない自分に息苦しさを感じました。自分でも何かできることを探していきたいと感じました。

・ プレーパークのお話、やはり興味多ありで聞き始め、「ぜったい行こう!!」と思いました。子どもは子どもの世界で、子どもの頃にしか体験できる事を今の子ども達に教えていくのも大人の役目と思いました。矢郷さんありがとうございました。

・ 今の私たちより、自然で遊んだであろう大人たちが、冒険遊びの楽しさを忘れ、整備された禁止事項だらけの公園をつくってきたのだと思うと悲しくなりました。しかし、行政が自然豊かな公園づくりを積極的に考えるようになってきたのは嬉しい。

・ 子どもを自由にもっと遊ばせてあげたいとプレーパークを見て思いました。お話もおもしろくとても楽しい時間をすごせました。ありがとうございました。

・ 2回目の矢郷さんのお話しを聞けて楽しかったです。兄ちゃんの幼稚園がプレーパークにとてもにています。公園であればいいなと思いますが、いろんなことで大変なのがわかりました。

・ 多くの公園が無難で“遊べない”公園になってしまっている背景をうかがって大いに納得しました。便利なもの、安全なもの、新しい技術が増殖していく世の中の流れに身をおきながら、昔からある子供のために残すべき自然や生活感のある環境を保っていくには非常に高い問題意識と努力が必要だと感じました。

・ 途中からの参加でしたが、プレーパークのフィルムを見ることができてよかったです。プレーパークは、今まで気になりながらも積極的に関わってこられなかったので、近々、また遊びに行ってみようかな?と思いました。

・ 「自分の責任で自由に遊ぶ」には、一見面倒くさそうなこともたくさんついてくる。でもそれを敬遠せず、自分にうそをつかないで、一歩ずつ進み乗り越えていくだけのパワーをいただいたように思えました。ありがとうございました。

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保育室からの報告@/話し合い〜自分の子育てを振り返って

今回の講座は幼稚園入園手続きの日と重なったこともあって、講座スタッフ、「たけのこ」スタッフ2名も合わせて15人ほどの、少人数での話し合いとなりました。

<お願い>
保育の様子をビデオで見る=「覗き見る」ことでもあります。ビデオの中での様子について「あの時はどうして?」などとこどもに話さないでください。ビデオを家に持って帰って見るときも同様です。その際はこどものいないところで見るようにしてください。

T.保育室(保育初日)のビデオより

・ はじめての保育、泣いている子がいる。年齢の高い子の中には裏の方で泣く子も。回を重ねるにつれて「保育される」ということが分かってくるので、2回目以降の方がかえって泣いている子は増えている。

・ お友達に2人が声をかけているシーン、「ダメだよ〜」と言いながらも関わろうとしている。年齢の近い子がなんとなく一緒に遊びかける。泣いている子の横でどうしていいか分からず、でも一緒にいる子も。

・ 他の子の遊びが気になりつつも保育者の抱っこからは降りられなくて、見て満足している子。

・ 遅れてきた子、お母さんとのお別れがちゃんとできなかったからか泣いている。「お母さんがいない」ということをからだ全体で表現している。その子に興味津々で集まってくるこどもたち。

・ 一人がおにぎりを出すと、「わたしも」と隣に座って食べ始める子がいる。

・ 1時間が経過、泣いている子はいない。それぞれに何かを見つけた様子。ブロックで遊び始める子、段差から飛んで遊ぶ子。繰り返しの遊びも好き。ちなみに先週は、20分くらいで全員が泣き止んでいた。

・ 「トイレ」と言ったら部屋から出られる、と気づいた子。親の部屋の前までいって、閉まっているねと納得させて戻ってきた。

・ 自分のものは自分で片付けられる子もいる。そうでない子にも「やろう」と声をかけて促している。

・ 体当たりした子のブロックが、別の子の頭に当たって泣いた。やった子も泣いている方も今ひとつ納得がいかなくて、気持ちの整理に時間がかかっている。今回は保育者が間に入り「ごめんね」。

・ こども同士での遊びが大きくなってきている。先週あたりからは3,4人のグループもできはじめ、「いれて」と声をかけたりする場面も。



U.保育後のうちでの様子は?
夜泣きしたり、不安定になっている子はいない様子でした。楽しみにしている子も多く、行く前の準備を自分からしたり、今までしなかった遊びをやりはじめたり、保育の時にしたことや公園に行ったことなどをおうちでお話ししてくれる子もいるようです。「行きたくない」と泣くので心配だったが、保育室ではマイペースに遊んでいるようで安心した、という声もありました。



V.「たけのこ」スタッフより
これは初回の様子のビデオ、次のビデオ撮影時の、こどもたちの関係や様子の違いを楽しみに経過を見て下さい。ここで過ごしている時間はこどもにとって決して無駄な時間ではないと思います。
「先生」には無意識に「何かしてもらえる」と期待してしまうけど、「たけのこ」スタッフは先生ではなく、保育の基本は、こどもの持つ力を信じて見守ること。何かをしてあげるためにいるのではありません。



W.日頃こどもを見ていて迷うこと、悩んでいること、気になっていること(参加者同士で話合い)

★男の子と女の子のけんか、どう見守る?

・ こども同士で決着することもあれば、引き際が分からない時など多少助けに入ることもあるが、危なくない限りけんかはなるべく見守っている。お互い消化し切れていないような場合、声をかけることも。

・ 小さい間は男女の差はあまりないのでは。顔だけはやめておこうね、程度かな。

★お母さん同士の雰囲気を悪くしないため「ごめんなさい」を言わせてしまうことも。言わせるだけでいい?

・ まず自分が相手のお母さんに謝る。こどもには「ごめんなさいは?」ではなくて「痛かったんじゃない?」などと言葉かけ。こどもにはこどもの世界がある、親の世界と一緒にしないほうがいいように思う。

・ 小学生位の子の「ごめんなさい」は軽い。言ってるだけって感じ。悪いと思っての「ごめんなさい」なのか、とにかく謝った方がいいから「ごめんなさい」なのか。

・ 2,3歳だと、相手に何かしちゃったと感じても、それが「ごめん、大丈夫?」という言葉として出てくる年齢ではない、と聞いたことがある。あまり強制することではないかな。

・ 心に重く受け止めてしまったが故に、素直に行動に出せないこともある。重く受け止めていればいるほど、「ごめんなさいは?」と言われてもそれをどうしていいか分からない。

・ 2歳くらいの子の取り合いだと、相手に泣かれると返したり、あげたくせに「取られた」と泣いたり。けんかして泣くとそれでお互いすごく気が済む感じ。言葉ではなく何かあげたりして終わることも。

・ こどもって自然と調和を求めてる。けんかしているという状況は、大人が思っている以上にこどもは辛くてイヤなことだと感じている。なんとか調和したいんだけどうまくできなくてぶつかって泣く感じ。

・ 取られた時の泣きはすごい。あきらめるために泣くそうなので、泣くのを途中でやめさせたり、飴でごまかして泣き止ませたりしない方がいいかも。

★一緒に遊んだら楽しそうな相手がいるのに、どっちかがイジワルしてうまくいかない。続くと気になる。

・ 女の子って男の子より3年くらいおませな感じ。ちょっとライバル心があったりもして、お互い気になりつつ仲良くできない期間なのかも。毎日会うならきっと状況は変わっていくんじゃないかな。

・ 相手の親も子も知っているところで自分のこどもがイジワルするのを見るのは辛いけど、やるだけやって前より関係がよくなっていくのを見てしまうと、これで終わりではない、先がきっとある、と思える。

★こども同士のトラブルに親が巻き込まれてしんどい。

・ こどもが他の子とあまり関わりを持たない子だと余計に、親としては我が子が心配で辛くなることも。

・ こどもが大きくなると、親を介さないでその子と自分との関係ができる。親を介さないでよそのおばちゃんと関係を結ぶのはこどもにとっても嬉しい。時が経つにつれて徐々に好転するのでは?

・ その子が遊びにきたら、相手の親に「見てるから」と言ってこどもだけ預かってみては?

・ そのうち、親とは全く関係ないところから友達を作るようになる。親が先に友達になって、こどもに友達を与えてあげられるのは、年中さんくらいまでかな。

・ こどもを見守れる親同士の関係っていいな。もめごとを避ける傾向の強い近所の公園、親同士の関係ができないことに悶々としてしまう。

★自分の意見を言い過ぎてトラブルになってしまう子。友達のことを親に一切言わないのが心配。

・ 親に言ってはいけないと勘違いしてがんばってるのかも。話していいんだよとしっかり伝えてあげればきっと変わってくるよ。

・ うちの場合、聞いて親が熱く反応しすぎないよう、話を聞くだけにしたら話してくれるようにもなった。

・ お友達がいなくちゃ、いじめられちゃいけない、と思っているかも。でもそういうつらい状況のことだってあるよね、と思って見てくれる大人がまわりに一人でもいたら、それを救いにこどもなりになんとかやっていけるんじゃないかな。



<感想より>

・ お話がきけ、話ができとてもよかったです。また、互いが話せる機会が楽しみです

・ ビデオでの子どもの普段の姿を見れて良かったです。子どもの悩みを打ち明けて少し打開策が見つかったように思った。色々な年齢のお子さんがいるママとのトークなのでためになりました。

・ ビデオ見れてうれしかったです。子どもの遊んでる姿がすごくマイペースでほほえましかったです。

・ まだ1人っ子なので親がメチャクチャ手をかけてしまいます。『たけのこ』さんの「見守る」保育にとっても感心しました。

・ いつもは絶対に見られない自分と離れた時の姿を「のぞき見」をしてしまいましたが、子供は想像以上にたくましく成長していて、意外とマイペースだったことが分かってよかったです。これからも保育をよろしくおねがいします。

・ 保育室からというより、かたくならずみんなで話しあえたことがとても嬉しかったです。保育の様子もそれぞれ子供なりに行動していてすごいなって思いました。子供だけどちゃんと考えがあるっていうのを再確認しました。

・ 少人数だったこともあって、いろいろ聞いてもらえて、話を聞かせてもらえてよかったです。

・ いろんな方の意見を聞けてよかった。相談したり相談を聞くと、安心したり参考になったりと本当によかった。

・ 私から離れてどんな様子だったか見ることができ、うれしかったです。子どもの対処の仕方で毎日迷ってばかりですが、いろんな意見を聞くことで、視野が広がりました。

・ 「先生」という言葉は不思議、「何かをしてもらえる人だ」と思い込んでしまう、という指摘に納得。「先生」が我が子のいいところを引き出してくれるのではなく、こども自身がよその子や大人との関わりの中で、自分の新しい部分を発見していくんだよね。後半の話合いでも、専門家でない「ふつうの親」の力ってすごいよ!と思いました。

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公開講座 「こどもにとって遊びとは何か?」
  〜けんか・どろんこ・危険なこと・・・敬遠されることって不要なこと?〜

<天野秀昭さんプロフィール>
1980年、日本発の冒険遊び場「羽根木プレーパーク」1年間派遣ボランティアとして活動の後、プレーパーク初の有給プレーリーダーとなり、その後世田谷・駒沢・烏山プレーパークの開設に住民と一緒に携わってきた。現在はプレーパーク事業の委託先である世田谷ボランティア協会の職員。また日本冒険遊び場づくり協会を立ち上げ全国を歩き回る。さらに世田谷で18歳までのこども専用電話「世田谷チャイルドライン」を開設し、運営にあたっている。大人からの電話は受け付けず、アドバイス、指示は一切しない。基本的に子どもの声を聴くというスタンスでやっている。



<プレーパークとは?プレーリーダーとは?>
<プレーパークとは、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、一切の禁止事項を解除した遊び場。特徴としては、まず地域住民が運営にかかわっていること。運営に住民たちが関わり、ここで起こったことに対しては自分たちが一切責任を持って対応するということで行政の運営に対する干渉を排除した遊び場なので、火を焚くこともできる。もう一つの特徴はプレーリーダーが配置されているということ。遊びにはなにか型があるわけではなくて、遊びの本質は「やってみたい」という気持ちそのもの。その気持ちがなければどんなものでも遊びにならない。例えば、今から鬼ごっこ30分間やりますと言われてもやりたくない子もいるわけで、それは遊びではない。逆にぼーっとしているように見えても、夢中になって空想の世界で遊んでいるかもしれない。傍から見ると、遊んでいるのかいないのかはよく分からない。かたちでなくやってみたいと思うこと、いろんな気持ちや遊びたいという意欲を子どもから引き出す、それがプレーリーダーの最大の仕事。それから、たいていの大人が大人社会のルールや理屈、大人側の価値観を子ども側にインプットする(=しつけや教育はまさにコレ)役割だとすると、それとは逆に、プレーリーダーは言葉になりにくい子どもの言葉や子どもの中の価値観を大人社会に伝えるという役割を持っていると思う。世田谷のプレーパークには2人ずつ専属のプレーリーダーがいる。



<プレーパークでの遊び>
火が使えるという特徴があって、しいのみを拾って炒って食べたり、銀杏やマテバシイ拾ったり、べっこう飴作ったり。ひたすら火を焚いてる子もいれば、釘を焼いてたたいてナイフにしてる子、スチール缶を切って器にして、中にアルミ缶を細かく切って入れて火にかけて溶かして鋳物を作る子もいる。いろんな年齢層が集まっていろんなことをして遊んでいる。常設で毎日遊びを継続できるので基地作りもできるし、大穴掘りもできる。穴の上に丸太で三角錐を組んで、真ん中に滑車をつけてつるべのようにロープの先にバケツを付けて、6mの穴を掘った子たちもいる。「酸欠で死ぬぞ、二酸化炭素は重いぞ」と言ったら、ろうそくを入れた。「ろうそくが消えた時にはもう死んでる」と言ったら今度は掃除機を引っ張り出して、その先に節を抜いた真竹をつないで「穴の中の二酸化炭素を吸い出す」。穴を掘り進んで地球の裏側ブラジルまで行こうとか、ひょっとして海に出たら日本は海に埋まっちゃうのかとか、出るとき頭から出るのか足から出るのかとか。そんなこと言ってると「バカだな、真ん中はマグマだまりだ」と言う子もいたり。
基本的には子どものやりたいことはみんなできるようにということでやってきた。つい子どもにやってはダメ、というがなぜ子どもがやりたいことをダメと言うのか?条件が悪くてダメなことがあるなら悪条件の方を変えていく、そんな考え方でやってきた。



<子どもが子どもとして振舞うことを嫌う社会>
25年間子どもをテーマに見てくる中で、子どもに対しておとなが、教えしつけなくてはと思ってることは、子どもの力になるよりもむしろ子どもの命を奪っているのではないかと思うことがたくさんある。子どもが単純に遊ぶということのために、なぜプレーパークのような場所を作って多くの大人が力を注がなければならないのか?裏を返すとそれだけ子どもがやりたいことをできない環境だということ。プレーパークなどとんでもない、子どもはもっと厳しくしつけなくては、もっと管理しなくては、そう考える人がたぶん世の中の主流になっている。では果たしてそれは子どものためになっているのか?
最近は例えば、何かを育てさせることで子どもは命の大切さを知るんじゃないかと考えている節があるが、子どもというのは命を奪いながら命のことを知ってきたのだと僕は思う。子どもの頃は、花をちぎったり、ザリガニや虫を捕まえてろくに世話もせず死なせたり、ザリガニの尻尾やミミズをちぎって餌にしたり、カエルの尻の穴に火薬入れて爆発させたり、猫を橋げたの上から落としたり。今そんなことはできないかもしれない。今日はお母さんの誕生日だからと子どもがその辺の花をちぎって花束にして「お誕生日おめでとう!」とプレゼントしてくれても、「ありがとう」と抱きしめたりはしないよね。「この花どっから持ってきたの?」。気持ちを受け止めないで形にこだわらなきゃいけないなんておかしい。この街のつくりは子どもが育つということをほとんど考えていない。もし考えていたら、育てる花ではなくてちぎっていい花の方こそ街の中に残さなくてはいけなかった。でも大人がきれいに過ごす街になったから、子どもが邪魔になってきた。幼児を連れてニコニコ優しいお母さんでいられる場所はあるか? たぶんどこにいても「じっとしてなさい静かにしなさい」と常に気を遣わなくていけない。なぜか? それは子どもが子どもとして振舞うことをこの社会が嫌っているからだ。
普段は閑散としている団地の公園で一日プレーパークを開いた。ブランコは巻き上げてブルーシート張って本部に、滑り台はインディアンのティピ風に、ジャングルジムのてっぺんから滑車ロープを付け、木にロープをつるしてブランコ、砂場には巨大な穴を掘って水を溜めて池にした。すると300人もの子どもたちが夢中で遊んで帰らない。そこで自治会に「また貸して下さい」とお願いすると「うるさいからもう二度と貸さない」。子どもは遊べばうるさいし騒ぐ。それは耐えられないから子どもに利用されない公園の方がいい。なぜ静かにさせることがしつけになったか?それは社会が子どもを受け入れないからだ。静かにしないことを大目に見ない、冷たい目で見る、だから親は言いたくなくても「静かにしろ」と言う。子どものけんかもやめさせる。そんな状況に問題を感じる。子どもがやりたいことをなぜダメというのか?本来ならやれていいことに対してダメというのは、子どもに対するしつけうんぬんの問題ではなく、子どもに大人側からの価値観だけを押し付けている可能性が高いと感じている。



<遊びはプロセス>
泥んこ汚れは嫌われる。なぜこんなに人間の世界は土を排除してきたのか。命をはぐくむ大地がなければ木も草も育たず、人も生きられないのに。煙たい、洗濯物に匂いがつくと敬遠される火も、人間が生きる上で欠かせないもののはず。何をするにも本来火は不可欠。それがどんどん生活から排除されて、見えなくなりつつある。
遊びはプロセスだ。テレビはスイッチを押すと結果が出るが、プロセスはよく分からない。でも遊びは結果でなくプロセスの話。目的を達成することが大事なのではない。ベーゴマしに来た子が、他の子につられて釘刺しをはじめる。落とし穴を掘りはじめたのが、発掘遊びになっていく。竹とんぼを作りかけて失敗しても、「まいっか、おでんの串にしよう、つまようじにしよう」。「竹とんぼ教室」だと、竹とんぼを作るという目的が設定されていてそれ以外はアウト。この子は竹とんぼを作るという目標を設定したけれど、ダメだと思った時に発想の方を転換した。この方が実は生きる力ではないか。世の中目的通りに行くことばかりじゃない、受験でも結婚でも、思うようにいかないことは山とある。その時に「まいっか」と思って気持ちを切り替えて、別の視点から新しい意味を見出し新しい状況に対応する、その方がずっとタフだ。でも今の教育は正解が先にありき、それ以外はアウト。子どもは失敗を恐れ、冒険できない。遊びの世界ではプロセス自体が大事、失敗を怖がらなくてもいい。遊びは評価のしようがない。「お前の遊び方80点」という話にはならない。



<子どもは自分で育とうとする力を持っている>
「教育」は「教える・育てる」、教え育てる側に意思があり価値観がある。子どもをやる気にさせることはできかもしれないが主役は大人。一方「遊育」は「遊ぶ・育つ」で子どもが主役。やってみたいという気持ちはその子だけのものだから、この遊びをやりなさいと指示することもできない。遊びの中でやってみたい気持ちが前面に出ると、すさまじいエネルギーが湧いてきて、時間も忘れてやりたいことをやる、それが集中するという状態。「集中」は頭で理解するのでなく、遊びの中で繰り返し体験してはじめて身につく気の構え。集中を体得するには他を気にせず遊び込める幼児期が一番。大いに遊べ。
「あぶない」「きたない」「うるさい」は子どもの遊びを語る3大形容詞。頭文字のAとKとUで「AKU」。子どもの「悪」、「あぶない」「きたない」「うるさい」をもっと許容してほしい。子どもの遊びが危ないのは当たり前。歩きはじめの子どもは痛い目をしながらすごい集中力をもって自分の限界に挑戦し、歩く能力を獲得していく。そうやって子どもは自身の世界を広げ、いろんな能力を獲得していく。だから危ない。危ないことをするなと言うのは限界に挑戦するなと言うことだ。子どもは遊びの中で自分を育てようとする力を持っているのに、多くの大人が「遊育=自分で育とうとする力」を認めず、大人の作った教育プログラムの中に押し込もうとする。でも子どもがそれをやりたいとは限らない。基本的に小学校の中学年位までは遊育だけで十分だ。



<子ども時代にしか得られないもの・できないこと>
子どもには子どもの時代にしか得られないものがある。例えばカブトムシ捕りにお寺にこっそり入って見つかってもたぶんちょっと叱られる程度、それは子ども時代の特権だ。もう一つは時間に対する観念の違い。大人はそのほとんどを将来のために使っている。先のことを考えて逆算しながら今を切り刻んで使う。でも子どもは小さければ小さいほど、今この瞬間を全力で生きている。「あなたの将来のため」は通用しない。例えば一週間前登れなかった坂を今日は登れるようになるといった進化の仕方をしているから、この一瞬一瞬が子どもにとっては貴重なのだと思う。計画性がないともいえるが、いいこともたくさんある。未来のことを考えないから冒険ができる。挑戦もできる。自分の限界を超えられるし世界を広げられる。計画性はない代わりに、瞬時に状況に対応したり、いろんな葛藤を経ながらも今のこの関係を大事にしていくことができる。今の瞬間を生きているから、過去に関する囚われが少ない。これらは大人にはないすごい力。
子ども時代でないとできないことの一つが例えばケンカ。人間と人間の関係は千差万別、100人いれば100通りの関係が作られる。1+1が−2にもなれば4にも5にもなる世界。公式がないから、数をこなさないと分からない。そしてとにかく数をこなすことで分かっていくこと、それは例えば「誰もが叩かれると嫌なものだ」という普遍的なもの。数をこなして覚えていくのだから、幼児期にやった方がいい。小さい子同士なら激しいけんかをしても、あっという間に仲良くなって一緒に遊べる。違いを体中で感じられる。大きくなってからやろうとすると先のことを考えるから、傷ついたらどうしよう、傷つけたらどうしようと考えると怖くなり、人間関係を密にとることに足が踏み出せなくなってしまう。



< 快・不快の感覚は大切、感覚を殺すうちにやりたいことが分からなくなる>
「やってみたい」は、基本的に「快・不快」の「快」。自分にとって心地いいことかどうかを見抜く力、それは人間が自分の命を守るのに非常に重要な力。でも今大人が子どもに小さい時から教えようとしているのは、善か悪か、正しいか正しくないか。頭で考えて判断する理屈の世界。例えば恋愛は体で感応する快不快の世界。「この人は立派で財産もあり、あなたは好きになる義務がある」、理屈はそうでも、だから好きになるわけではない。善悪の世界でないものはいっぱいある。たぶん人間を動かしている原動力は大人になっても快・不快、でも今の世の中はそれを前面に出すことを恥と考えるのか、善・悪の方が幅を利かせている。自分の中に入ってくる不快(毒)を拒否する感覚は重要、でも善悪の概念でやり込められるとその感覚が働かなくなり、快不快が分からなくなってきて、子どもの命はしぼんでいく。
やってみたい気持ちがあれば人間関係のぶつかり合いも乗り越える力が湧いてくる。子どもは遊びの中でけんかも乗り越えていく。すぐ忘れるという子どもの性分もあるが、一つにはやっぱり一緒だとおもしろいことがやれるから。それは「快」の世界。そういう体験からイヤなことがあっても一緒に遊ぶということを覚えていく。大人でも同じ、人間関係なんて基本的にウザイ、イヤなことや傷つくこともあるけれど、やっぱりこの人たちとやる方がおもしろいと思えた時、それを超えていく力が湧いてくる。人間関係が必要だからうまくやりましょう、は大変。でも子どもたちは実際そういうことをやっている。やりたいことではなく大人が必要だと思うことを与えられる。やってみたい気持ちを殺し、不快な気持ちを抑えて、それを受け入れないとやっていけない。それに慣らされていくと、何が快で何が不快なのか、自分がやってみたいと思うことが何なのか分からなくなる。
中学時代は第二の幼児期、その子の育ちにとって必要だったのに幼児期にできなかったことが、中学校時代にほぼ間違いなく出てくる。幼児の「みてみて」が「あのクソババア」という形で出てくる。中学ぐらいで初めてプレーパークに来る子の中には浮遊した感じの子たちがいて、周りでみんなおもしろそうに遊んでいるのに「つまんねー、なんかおもしろいことねぇ?」。でもしばらくするといろんなことが湧いてきて、その子の中に「快・不快」の感覚や感情表現が戻ってくる。腹の底から笑ったり怒ったりしだす。中学生がそうやって変わると、親の反応は2つに別れる。一つには生き生きしてきたという肯定的な反応。でも3割ぐらいの親は「うちの子は悪くなった」という。それまで親から見ると都合のいい子だったのが、そうでなくなって手こずるから。でも子どもの「快」は親の「快」とは違うから、子どもが一人の人間として主張するようになるとぶつかっても仕方ない。それはその子の命の復活につながる。



<やってみたい気持ちに突き動かされて出てくる姿の中にこそ、この世に生まれてきた存在意義がある>
大人は子どもに物心ついた頃から早く「人型」になってもらおうとしていて、それを教育とかしつけと呼ぶ。でも実際の子どもの姿は「アメーバー」、ぐにゃぐにゃで、おもしろそうな方にのびる、不定形で予測不可能な存在。それを早く「人型」にしたいと思って、大人がひっぱったりたたいたり。でもこれは子どもではなく「ミニチュアの大人」。子どもはもともと弱い存在だと自分で知っているから、自分の命にかかわる力を持つ人に気に入られようと努力している。親や先生などに「人型」になれと言われ続けると、器用な子どもは早くからそんな姿を作ることができる。そして小学中学年から中学生くらいになるとたいていの子が“これは求められた自分であって私ではない”と感じる。でもその姿を愛されているから壊せない。張り子状態で中身はからっぽ、辛いと思う。今は社会がこぞって子どもをこんな人型にしようとする。誰かにとって「いい」自分になることは、自分自身を生きるという視点から見れば虚しい。やりたいことが分からない、やりたいことがないからつらい、という若者が今増えている。不器用な子は、なろうと努力してもこういう子どもになれないから、自己肯定感が低く、親の心配の種になる。一番少数なのはアメーバーのまま来ている子。社会的には明らかに問題児と言われる。社会全体が人型を求めているから問題視される。自分のやりたいことをやっているのに問題視されるから、場合によっては自己否定してしまうこともある。でもそれはみんな大人が作っていること。
アメーバー状態をただ「おもしろいねー」と言ってやればいいのに。やってみたい気持ちに突き動かされて出てくるこの姿は世界で唯一無二のもの。この子がこの世に生まれてきた存在意義が、この形の中にあると僕は感じている。この姿を十分にいきいきと生きてきた子どもはすごい財産を持っている。社会的な約束事を覚えるのは小学高学年以降でもいい。そんなに早くしつける必要はない。「自分が生まれてきてよかった」と思える自身の核(アメーバー)が肯定されれば、私ってけっこういいじゃんと思える。それが生きているときの核だ。その子固有の生きる力はこの姿からしか生まれてこない。



<子育ては親だけではできないし、やっていいものでもない>
一人で子どもを育てるのは大変だから、親同士がつながるといい。「この場所はこうだ!」と言い放ってプレーパークみたいにやってみることで、自分の知らなかった子どもの姿に気付く親もいる。子どもの中にある潜在能力は強い。子どもが10やるとすると、子どもだけだと10までやれる。子どものやることに対して許容範囲が広いと思っている僕でもたぶん8〜9で止めちゃう。先生など子どもに関わる専門の大人で4〜5、親に至っては1くらい。親が8〜9程度まで持っていくのは大変かもしれないけれど、我が子でなければ平気、そういう意味では子どもを見合えばいい。
我が子だけを大木にしようというのは不可能な話。しっかりと根を張った、しっかりした幹を持った大きな木になってほしいと思うなら、森を、土壌を変えなくては。森を育てない限り、一本だけ大木が育つなんてありえない。その土壌は地域社会、家庭ではない。自分の子どもを親子という狭い世界の中だけで育てていいはずがない。親だからやれることもあるが、親だからダメなこともいっぱいあるから、他の人たちの力を借りなくては。「子育て支援」という言葉は、子育てするのは親、それを支援する人、と聞こえることがあるけれど、子育ては親だけではできないしやっていいものでもないと考えると、「子育て支援者」は実は、子どもから見ると子育ての当事者でなくてはいけない。よそのおばさんだから関われるこの子どもとの関わり方がある。親でもない、先生でもない、よく家に来る人で時々自分の話を聞いてくれる、そんな大人の存在は大切。子どもから見るとすべての大人が子育ての当事者で、その立場から子どもとの関係を結ぶことができる。「子育てが終わった」と言う人もいるが、世の中には我が子以外の子どももたくさんいる。この子もこの子もこの子も、あなたの立場からそれぞれの関係があるわけで、そういう風に子どものこと見てもらえると、随分違ってくるんじゃないかと思う。
親だけが責任をかぶるような社会の中で、今の親はしつけができないと言われる。子どもを人型にいれることがしつけだという。子どもがこれほど社会で受け入れられなかった時代はない。自分は大人社会の代弁者になろうとするのか、それとも子どもがやりたいと思うことを実現する側に回ろうとするのか考えなくては。それによって子どもを見る時の目線ががらっと変わる。



<質疑応答より>
(「だっこ〜」と泣き叫ばれる、お風呂上りにご飯も食べないで裸で歩き回る、子どもの快・不快と自分の快・不快がぶつかる。テーブルに足を乗せる、テーブルに乗っかって遊ぶ・・・こういうことについてしつけは必要ではないの?)
初めに言った子どもの快・不快は、命の根っこにつながる快不快。この場合の自分の快・不快はもしかして自分の価値観に基づいているかも。だとしたら価値観を変えることも一つの手、不快なことが快になったりする。個別の話になるが、うちはちゃぶ台の足を片側たたんで滑り台にして使ってた。ご飯が乗っている時はダメだとか、うちはこうだけどよそではちがうかもと言っていた。やっていいときと悪い時があることは子どもにも分かる。狭い住宅事情ではテーブルの上も格好の遊び場、状況によってはそれもありかも。おそらく戦前の日本には全国通じて共同体の中での約束事などがあって、どこに行っても価値観が似ていてどこの家でも同じことを教えていたから共同体として成り立った。「しつけ」はその頃の名残りではないか。



<感想>

・ 子ども時代にしかできないことを大切に見守れる大人になりたいと思いました。小さな大人をつくってはいけないと強く感じました。

・ 天野さんのお話しを聞いて、今までの私の子育ては子供の挑戦をさまたげていたのかなと思いました。子供が育つ力をもっとのばしてあげれればと思いました。

・ 今の子育てに役立つとても大切なお話だと思った。川崎にプレパークをたくさん作れるといいと思う(力になりたい)。

・ 私も、大人の価値観でかなり子供を見ていたなと思いました。自分も子供の目線で見ていきたいと思います。

・ 私は親からめちゃくちゃ厳しく育てられた覚えはないのですが、中学時代からみてくれを気にするようになり、自分の個性を抑制してまでも周りからいい人になりきっていたように思えます。当時はつまらなかったな〜と思います。「タフ」って言葉を久々に聞いていい言葉と思った。子どものタフさを養って伸ばして(果たして出来るか分からないけど・・・)いけたらいいなと思う。天野さんの話は親の代弁と思う。地域社会全体にこの思いが根付いたら子どもは幸せだろうなと思う。

・ 知らず知らすのうちに、子供から自由をとってしまっていたのが私だったのだと改めて気付かされました。「勉強」より「遊び」を優先させてあげようと思いました。

・ 面白かったです!子育てに関わり早や2年10ヶ月、今まで自分の生きてきた事以外の新しい事ばかりでホント毎日タジタジです。疲れるヮー!夜寝るときに「今日もいっぱい遊んだネ!楽しかったのは何かな?」とお話しをしながら寝ますが、ホント毎日親子ともに楽しく生きていきたいナーと思います。人の話しを聞くと理解できるのだが・・・。ついつい毎日の事になるとイライラ。

・ 子供時代に遊びから(ケンカから)学んでいくことを大切にしていきたいと改めて思いました。父親にも聞いてほしかったです。

・ たまたまチラシを見て目に止まり、うかがいましたが、とてもいいお話を聞くことができたと思います。羽根木プレーパークのことは、ずいぶん前から知っていましたが、今回現場でのエピソードを聞いて、子供時代ってほんとうにいいな!と思えました。私も、弟といっしょに、けっこう外であそんだので、その頃の気持ちを思い出すことができました。明日、たまたま中学校に読み聞かせに(朝の20分)うかがうのですが、中学生に対する目が少し今までとちがってくるかもしれないと思います。確かにいますね、幼児期にできなかったことをしている子。そんなふうに考えると、ほんとに小さい頃にめいっぱい“遊ぶ”って大事だなって思いました。今日は、貴重なおはなしをありがとうございました。

・ 天野さんのお話、初めてうかがい大変心に残りました。自分の思いや行動に矛盾を感じたり、悩んでいることが漠然と分かってきて、子供にミニ大人を強いていた部分がはっきり分かってきました。とてもとてもよかったです。どうもありがとうございました。

・ うちの子は生まれた時からアメーバーです。人からの目がきになって、ダメという事も多いです。なるべく、やらせてあげたいとのびのびさせていますが・・・。他の子とちがってかわってるなと思う事の方が多いです。でも、その彼の他の子とちがうアメーバーのよさが今日の講座でよくわかりました。いろいろな体験をもっともっとさせてあげたいと思いました。大変興味深く楽しい講座でした。この近くにぜひプレーパークを!!

・ 大人の自分、世間のルールを守っておくと楽して得することを身につけた自分がどこまでアメーバーのようにしなやかな子どもに無理なくつき合えるか、自分ためしだなと思いました。同時にいかに社会を自分のまわりを変えるというかわかってもらえるというかわかり合えるようアピールしていくか、これも自分だめしだな。子どもをもって人間として育つチャンスをもらったんだなと、天野さんの話をききながら思いました。まあ気ばらずやるよ。

・ とてもいいお話が聞けて光栄でした。また参加したいと思います。

・ プレーパークに行ってみたいなーと思いました。

・ 子どもが子どもらしくいることがそんなに大変な時代なのかぁ・・・と改めて考えさせられました。今の自分にできること、自分の子どもだけでなくすべての子どもたちのためにできることは何だろう?そんな想いで胸が熱くなった2時間でした。

・ 自分の子だけを大きな木にしようとしても森を育てなければ1本だけ大きくなれないというの、考えさせられました。(自分の子だけはそれはダメあれはダメではなく育てようと思っていたので。)

・ 子どもを人型にする話はドキッとしました。私もひっしになって人型にしようとやっきになっていたように思います。子どもとの接し方を改めて考えていきたいと思いました。

・ “遊び”、やはり子どもにとって大事なことを改めて思いました。遊びに集中する事で集中できる子に成長するという事も。“遊び”素晴らしいと思います。“やってみたい”という気持ちを我が子にもますます持って欲しいと思いました。ぜひプレーパークへ遊びに行きます。

・ 天野さんのお話をお聞きして、子連れで自由が丘の喫茶店に入ろうとした時に、『赤ちゃんはお断わりします』と言われた事を思い出しました。本当に気を遣う世の中ですよね。

・ 子どものやってみたいという気持ちを大事にして、なるべくやらせてあげれるよう環境を与えたいと思いました。大人になってやりたいことが見つからないとか自分を見失ってほしくないと思います。

・ とてもいいお話で子育てについて改めて考えさせられました。有意義な時間で、天野さんのお話に出会えて親である私自身も頑張れるように思いました。本当にありがとうございました。

・ 子供の視点で子供と子供の世界を見守ることの大切さ、頭では分かっていたつもりでも、全然分かっていなかったのだと思い知らされました。天野さんのお話は具体的で子供の時代の大切さがとてもよく分かりました。今回の話は、目からウロコ&涙が何度も出そうになりました。

・ プレイパークでのいきいきした遊び、特に現代の環境では危ないとされている火の遊び、穴掘りなどを通して、子供の豊かな創造性がはぐくまれていると知りました。アメーバーのような個性を持った子供の本来の姿を、大人の作った社会にあてはまるようにしつけていくこと、もちろん積極的にしたくはないのですが、この環境ならではの、昔はなかった危険、各家庭での価値観の相違の中で、どう折り合いをつけていくべきか、日々なやんでいます。

・ つい、いろんなことを望んでしまいすぎる時がある。“子供は今の連続”って聞いて、ああそうだ!って思いました。今日の話しはとても私の中にひびいてきて、これを私が上手く取り入れていきたいと思いました。

・ 天野さんの価値観に共感し、胸が熱くなりました。こんな旦那さまだったらいいのになあ…。

・ 「しつけ」なるものについて考えられたことで、迷いつつも少しずつ自分の中の基準を変えていけるかもと思いました。自分の周りにいるたくさんのこどもたちに対して、親でも先生でもないただのおばちゃんのできることを探していきたいし、うちの子たちにもいろんな大人と親を介さないダイレクトな関係を築いていってほしいと改めて思いました。

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プレーパークってどんなところ?/こどもといっしょに遊ぼう!@企画編

次週(11/23)の講座では、高津市民健康の森にて1日プレーパークを開き、実際にみんなで遊びます。その前提として、「その場で起こったことについては自分たちの責任で」ということ、お互いに相手の親への気遣いはなしということでこどもたちのやりとりを「みまもる」という2つのスタンスを共有したいです。じっちゃんには、「みまもる」という部分を中心に話していただき、その後来週のことを相談しました。

<じっちゃんプロフィール>
1997年に保育の専門学校を出た後、駒沢はらっぱプレーパークで2年間常駐プレーリーダーをした後、
有馬ふるさと公園と杉並と2ヶ所でプレーリーダーとして活動、現在に至る。プレーリーダー暦は7年。



T.「みまもる」
みる・・・見・観・診・看・視 まもる・・守・護・保
いろんな漢字があるけれど、漢字にすると漢字の持っているイメージが強くなり「自分がすぐ手を出せる範囲内においておく」になってしまう。ひらがなの「みまもる」というイメージのままでいてほしい。すると「自分が見ている範囲内にこの子たちがいる」という状態、こどもをただ目で追っているだけでよくなってくる。「見えている範囲内」でいい。見えないところまで全部見ようとするのは無理だから、いろんな人と一緒に自分のこどもだけでなくその場にいるこどもたちみんなを「みまもる」というスタンスを共有したいと思っている。人それぞれいろんな想いがあるし、手を出すタイミングもみんな違うだろうけれど、こういう共有イメージを持つことで、ゆっくり見ておこう、すぐに止めなくていい、と思えるんじゃないか。親の安心材料にしてほしいと思う。



U.ケンカのみまもり
何がケンカなのか、取り合いをしているだけなのか、気持ちを表現し切れなくて手が出てしまうのか。前後関係を見ないで手を出した瞬間だけ見たら「この子はすぐ手を出す、けんかっ早い」と思うかもしれない。でも、その子が何を思って手を出したのかも考えていきたいよね。「また手を出して!」と言いそうになったら“深呼吸”してみるといいよ。無理やりやめさせようとしている自分にストップがかけられるから。
わーっと感情が昂ぶったとき、自分たち大人でもなかなか言葉が出てこないことがあると思う。でも大人は“手を出してはいけない”と思える経験をしてきたからこそ、手を出さないで止められるのだと思う。こどもはそれを経験している最中なんだ。最中なのに「手を出しちゃダメ!」と止められると、どうしてだめなのか分からないままになってしまう。そのまま小学校高学年や中学生になってしまうから、気に入らないことがあった時、力加減が分からなくていきなり壁に穴を開けたり人に大怪我させてしまったりするのかも。小さい時なら、どれだけ叩いて相手を泣かせたとしても大怪我するほどにはならないでしょ。やってみないと、やられてみないと、分からないことがあると思う。
プレーパークで「自分の責任で自由に遊ぶ」と言った時、自分は極端な言い方をしたら、死ななきゃいい、後遺症が残らなければいい、ある程度の怪我はしてもいい、と思っている。でないとやりたいことをさせてやれないし、そんな場を守ることはできないと思う。「見ていたら止めたくなる」と思ったら、他の人に「見てられない、代わって」とその場を離れればいい。こども同士のケンカも「いっしょに見ていよう」という共通認識をある意味約束事にしておけば、楽になる。
年齢差がある時は、年上の子も感情が昂ぶって言い返せなくなり、小さい子にやられるがままになって我慢の限界を超えて手が出る、ということが多い。大きい子は大きい子なりに“小さい子を見てあげなくちゃ”と思っているし実際ちゃんと見てくれているもの。そういうことでもないと、いきなり大きい子が小さい子に手を出すことはあまりない。「ダメ、手上げちゃだめ、○○しない!」なんてやめさせ命令だと、気持ちが固まってどうしても戻ってこない。腕力差・体力差が心配で止めるにしても、大きい子の気持ちは受け止めてあげたいよね。
ケンカの現場にいるとき、「まぁちょっと落ちつけよ」って声をかけるべきなのか、間に入らないで待った方がいいのか、そういうのは本当に分からない。でも考えてみると子どもはいつのまにかまた2人3人の世界で仲直りしているので、自分らはただ見てればいいんだろうなぁ。ナイフや武器を手に持っているときにケンカになったら、有無を言わせず武器だけ取り上げ、あとはそのまま続けさせている。そんなことをやってくる中で、自分は今、結構安心して見てられると思っている。「自分の責任で自由に遊ぶ」プレーパークという場においては、いろんな考えを持っている人たちが来ても、そのスタンスは守れる。
プレーパークでない公園で、考えやスタンスを話せていない人と会ったときはなかなか難しい。でもやっぱりこども同士やらせたいから、自分だったら何かあったら止めに入れる距離にいて、相手の親が止めそうになったらその人の前に立って遮る、声をかける。「やらせてあげましょうよ」「あんたにそんなこと言われる筋合いないでしょ」なんて大人同士やりとりしているうちに、こどもたち同士のやりとりが一段落ついて満足してればいいなと思う。



V.高いところ・工具などの危険
ふるさと公園にはうんていがあって、5、6歳になった子が自分の腕の力で持ち上げて足をかけて上に登ったりする。先日、たまたまそれを見てた2歳半の男の子が挑戦しかけたのだけど、小さいので手を伸ばしても届かない。それを見ていた大きい子が小さい台を持ってきたら、その子はそれに乗っかって足をかけて、なんと自分で登った。大人が「すげー」というので、その子は得意げに30分ほどの間、何度も上り下りを繰り返していた。2歳半で自分の体を持ち上げるとは思っていなかった。もしも「まだちっちゃいから無理だよ」と言って止めてたら、その子の満足げなその日の思いはなかっただろうし、あの笑顔も見られなかっただろうと思う。自分は「すげー」と言いながらも落ちそうになったらすぐに手が届く範囲にいた。それがみまもるってことだよなと、自分は思ってる。
実際その横で登りたくても、怖くて登れなかった4歳の子もいた。“何歳になればできる”というものではなく、その子が“やりたい”と思った時に何か(能力とかバランスとか)があればできるんだというのを改めて実感できた。
小さい子連れの親はこどもが工具を使いたがっても「まだちっちゃいから無理」と言うのをよく聞くけれど、それは本当かな? 本当は大人の方に経験がないから使わせるのが怖いだけじゃないか、と思っている。そんな言葉を聞く度に「2歳半の子でもうんてい登れるよ」「3歳の子でも鉛筆削るよ」と思う。年齢じゃない。ただみまもっていればいいんじゃないか。
道具と凶器は表裏一体。どうして道具が凶器になるかっていうと、使い方を知らない、痛みを知らないからだと思う。使い方や痛みを知っていたら、小学生が簡単にナイフで人を傷つけることなんかできない。経験がないからやってしまうんだと思う。小さい子がのこぎりやナイフを使っても、力がないし肉も柔らかいから、使っていて自分の指を落とすようなことはまずない。少し大きくなって皮膚がかたくなり筋肉もついてくると、多少切れやすくはなる。それでもよっぽどのことがない限り、骨まで達することはない。
でもこれには一種の覚悟がいるとも思う。さっきと同じで、「ひょっとして切ってしまったら…」と思ったらタッチ。来週は、みんなも工具を使ってみて。ただの木の枝から何かができるのはすごいおもしろいよ。ぜひ手に取ってやってみて。竹があれば何でもできると思う。
ナイフは切れるものだとは伝えるし、ナイフを反対向きに持っていたら「反対だ」って、歩きながら使ってたら「座れ」って、上向けて持ってたら「下向けろ」って言ってやる。そんな使い方をしていてその子が怪我をしたり、その子の意思に関係なくそばにいた人間に怪我をさせたりするのは、双方にとって本意じゃないと思うから。でもあとはどんな使い方をしていても、自分はとりあえず見ている。そうやっていると、できる子が手伝ったり教えたり、こども同士でやりとりしていたり。親もちょっと離れてみていると「うちの子いつの間にできるようになったのかな」などと新たな発見があっておもしろいかも。



W.リスクとハザード
リスク:予測できる危険、「危ないぞ、危険だな」と思いながら冒険心で挑戦していく危険。
ハザード:何が隠れているのかよく分からない、察知できていない、その子の経験から分かり得ない危険。
○ 木のぼりで、枝が高いところにある。「もともと高いぞ、落っこちるかもしれないぞ、すべるかもな」と思って登るのはリスク。つかんだ枝がいきなり折れるのはハザード。枝が折れるなんて思わないけど、経験を積むと、枝が折れるかもしれないと思って登っていくようになる。
○ 机のようなところに登りたがる。登りたい、でも登れない。自分の口癖は「やりたかったら自分でやれ」なので手出ししない。でも例えばだれかが乗せてあげたとする。するとその子は自分でここまで来ていないので、高さのリスク感覚がない。バランスを崩してちょっとしたことで落ちたりする。それはハザードだと思っている。自分でイスなり使って登る子は高さ感覚が分かった上で挑戦している。揺れも体で体験しているから、滑ったら落ちるのも分かる。だから案外落ちないし、落ちても受け身がなんとなく取れているので大怪我しない。
○ 箱ブランコ。箱ブランコは基本的に中の台に座って揺らして遊ぶもの。だけどこどもはいろんな遊び方をする。その遊具自体はそういう遊び方を想定して作られていないので、実際箱ブランコの下に挟まれて亡くなったり、足をとられて骨折した子もいた。遊具の使い方と違う使い方をしたというので怪我をした、でもそれの使い方は大人が勝手に決めたもの、そのもの自体が危険なものであるという認識はない。そういうのがハザード。ふるさと公園ではロープで木のブランコやターザンロープ、ターザンブランコをつけている。“ブランコ”という名前で呼んでいるが、例えばロープを登っても何をしてもこどもたちの自由。もともとロープという不安定なもので遊んでいるから、みんな「しっかりつかまっていないと危ない」と思って遊んでいる。こいで戻ってきたブランコにぶつかってこぶができる程度のハザードは隠れていなくもないけれど、もともとどうにでも使っていいと思って作っているので、たいした怪我にはならない。



W.質問より

<やりたくてできなくて泣き叫んだ時はどうすれば?>
自分の基本は「やりたいなら自分でやりな」。こどもがやりたいのにできないで泣いている時は、とりあえずそばにい続けるかな。でも口も手も極力出さない。そばにいるだけで安心すると思うからそうするけれど、それは親でなくても「助けて」と言われた人がやればいいように思う。基本は「みまもる」というところで、遊びは要は“やりたい気持ち”だから、どうすればその気持ちを邪魔しないで大事にしておけるかな、なるべく邪魔しないようにしたいな、と思いながら現場にいる。

<こども同士にも合う合わないがあって、だれかに辛く当たったり、強い言い方になったり。そのとき自分がそこにいる一人の大人としてどうすればいいのか悩む…>
気になる言葉はいっぱい聞くよね。“イヤだな”と思ったら「俺が聞こえないところで言って」「じっちゃんがどっか行けよ」なんてこどもと言い合うこともある。こども同士のやりとりで気になることがあったら、気になった人がその場で伝えてあげればいいと思う。それから、こういう密な喧嘩別れをしても他でくっついたりできるような機会や場がたくさんあったらいいなと思う。
その時だけをみると「あんな汚い言葉を投げかけるなんて」と思うけど、それを経るからこそ言わなくなったりやらなくなったり、ということもあるよね。みそっかすをあえて作って、ケンカが遊びになっていることもある。特定の子がずっとみそっかすになってる時には「お前らちょっと待て」と思ったりもする。でも、遊びの中でじゅんぐりに消化してるな、とも思う。遊びの中でみそっかすを経験する、やられた、やった、という部分がたぶんつながっていくのかな。気になるけれどもちょっと待ってみる、でも気になったことは大事に覚えておけばいいし、気になったことは気になったで伝えていっていいとも思う。難しいよね。



<次回の講座について>
やれたらいいな、やってみたいな、ということをあげてみました。

・竹ご飯・どんど焼き・枝の先に何か付けて焼く・焼きいも・豚汁

・竹ポックリ・竹とんぼ・流しそうめんの竹で遊ぶ・竹工作・竹で何か作りたい・青竹踏み・崖すべり

・竹を組んで基地作り・落ち葉遊び・穴掘り・竹細工・竹でお箸やコップを作る

以上の中から、とりあえずお昼ご飯だけどうするか相談の上、下記に決定。
日時:11月23日(火・祝)10:00〜13:00(最終撤収14:00)
場所:高津区市民健康の森(丘の部分)
昼食:「竹の器でヤミ炊き込みご飯&棒の先につけての焼き焼き大会」
各自の持ち物:
・洗ってない米&炊き込みご飯の具(各自自分が食べるくらいの量・具材は切って)
・枝の先に付けて焼けるもの(ウインナー・ししゃも・干しいも・マシュマロなど)・シート・飲み物
・食器・着替え・上着など


★工具類(ノコギリ・ナイフ・かなづち・釘など)やロープはポレポレから持って来ていただくので、遊びの部分は自分たちがやりたいことをやってみて楽しもう。また、ポレポレへのカンパをお願いします。

★最後にエピソード用紙を配りますので、こどもたちの様子でもっとも印象に残ったことを一つ書いて帰って下さい。



<感想より>

・ リスクとハザードのお話が印象的でした。自分としてはみまもって子供と遊んでいるつもりですが、万が一、ハザード部分でケガをさせてしまった時の公園での他のお母さんの目がきになってついついとめてしまいがちです。そういう点で少しでも近い価値観をもった人達と子育てできれば親子にとって一番居心地のいい場所になるんだと思いました。家ではナイフとか包丁とか使わせていますが周りに他の子供がいると、また教えたり、教えてもらったりといい刺激があっていいなと思いました。

・ 実際に子供たちと日々接しているじっちゃんの話は、自分がいかにいろいろなことにとらわれすぎていたか、子供の遊びを止めていたか、また改めて実感しました。来週のプレーパーク体験とっても楽しみです。子供のやりたい気持ち、泣くことも甘えてくることも怒っていることも、今までと違った気持ちで受け止められそうな気がします。(というか、大らかに受け止めるようになりたいです!)

・ リスクとハザードのお話すごく良かったです。うちではハサミしか使ったことがないので、来週ノコギリ等を見たときの反応や使う気になるか楽しみです。私もナイフとかあまり使った事がないので使ってみようと思います。

・ みまもることはなかなか難しいなぁと思いますが自分でも意識していきたいなぁと思いました。子供の力を少しずつみつけていきたいなぁと思いました。

・ 子どものことは子どもにまかせればいいと思うけど、みまもるということは相手の親との理解が大切だと感じます。気がねなくプレーパークで思いきり遊ばせたいです。

・ プレーパークでの現場の声が聞けてリアルで面白かったです。次回楽しみにしています。

・ お話楽しかったです。工具を使わせたことはないのですが、子供に経験させてみたいです。危なっかしいですが…。見守る育児、頑張って実行していこうと思いました。

・ 見守るということの大切さ、難しさが伝わりました。

・ 今日は“みまもる”というテーマで、子供との接し方を話していただいたのですが、実際、なかなか難しいなぁというのが感想です。でもこれからの育児に“みまもる”という意識をなるべく持ちつつ、子供と接していけたらと思いました。

・ ケンカをみまもる具体的な方法などとても参考になりました。

・ ケンカがはじまったとき、私の方が構えていられるようになりたいと思いました。やはり顔見知り程度だとどもしても相手のママの顔を伺ってしまう時があって…止めに入ったりしてしまいがち…ケンカも成長のひとつとしてみていきたいです。

・ いつもじっちゃんと遊びながら話していることを整理して聞くことができてよかったです。ただ、見守り方も人それぞれ、じっちゃんの思いが子どもを見守ることのマニュアルのようなとらえ方を皆さんされず、それぞれの見守るスタンスを共有しながらたくさんの大人の中で子どもが育っていけたらいいナと思いました。来週の竹ゴハン楽しみ。

・ 具体的な“みまもり方”、特にケンカの場合についてお話しいただいたのがためになりました。3歳になった娘が包丁を持って手伝いをしたがるのですが、今まで私が手を添えてしか使わせることがありませんでした。ナイフやのこぎりなど、道具を使った遊びのみまもり方をうかがって、もう少し工夫して、やりたいように挑戦させてみようと思います。

・ プレーパークに遊びに行くというのでなくても、近所の公園がプレーパークにかわるものになれば…と夢みてしまった。公園に限らず、家の前で、路地で、子どもが子どもたちだけで遊べることができればなぁ…。今日、ひとつヒントになったのは子ども同士でケンカでも何でもやりとりさせたければ大人同士が話しをし合う、「なんかやってますねー」と言い合う。そう声をかけることが大事だなぁと改めて思いました。子どもは子ども同士、のびのび遊ばなくちゃ!!

・ 穏やかな先生で、子どもがとても親しみやすいのだろうなという気がしました。来週の公園で、遊んでくださるのが楽しみです。

・ みまもると言うことはとても大変なことですが、ひとこきゅうして、子供を見守っていきたいと思います。

・ 具体的にじっちゃんがどんな風に思いながらこどもたちと接しているのか聞くことができて、参考になりました。私の見守り方、あの人の見守り方、いろいろあっていいと思うので、「いいな」と思える人の見守り方を真似するところからはじめて、少しずつ自分流をつくっていければいいのかなと思いました。こうやってスタンスを共有した上での次回の遊び、どうなるのか楽しみです。

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こどもといっしょに遊ぼう!A実践編 〜高津区市民健康の森にて〜

<内容>

@まず、親の自分たち自身が楽しむ、

A相手の親への気遣いからこども同士のやりとりにストップをかけたりしないで、そこにいる大人が、自分の子かどうかにかかわらずこどもたちを見守る、

以上2点を再確認した上で、10時に講座が始まりました。
先週決めたお昼のメニューは「竹で炊くたきこみご飯」&「棒で刺しての焼き焼き大会」
実は今回の講座には、高津区市民健康の森を育てる会のメンバーの方たちが数名協力して下さっていて、私たちが到着した時にはもうかまどの用意も火起こしもしてくれている状態でした。講座終了予定は13時、最終の撤収は14時と打ち合わせていたので、時間的に厳しいことを見通して用意してくださったのでしょう。また、ロープで作ったハンモックやブランコ、竹馬、竹ポックリなども出して下さいました。
さて、講座開始と同時に何本も太い竹を切り出し、ご飯を炊くため一節ずつノコギリで切りました。その一方でお米をといで具材をあわせて味付け、こちらも手際よくできました。竹筒をよーく洗って中の薄膜を取り、中に米・具・調味液を入れ、上下にアルミホイルをまいて、かまどの火に入れたのが11時半ぐらい。30分くらいで炊けることを期待しつつ待ちます。その間、大人もこどももノコギリやなた、ナイフでの竹工作や、ハンモックや竹ポックリなどの遊びに熱中していきました。散策路に「探検」に行く人たちもちらほら。
そろそろご飯が炊けたかな〜と、アルミを取って中を覗いた瞬間、焦りました。中の水分が全然飛んでいなくて、炊き上がりの見通しが全く立たなかったのです。竹筒が太くてなかなか熱が伝わらなかったからか、はたまた竹炭を入れてもらった釜の温度が思ったより上がらなかったからか、当初30分くらいで炊けると予想していたたきこみご飯が炊き上がったのは、最終的な撤収予定時刻だった14時を過ぎてしまうことになりました。森を育てる会メンバーの方たちは私たちの撤収まで留まってくれることになっていたため、この遅れのために大変ご迷惑をおかけすることになってしまいました。
13時を過ぎても炊き上がらないご飯を横目に、お腹のすいたこどもたちを中心に焼き焼き大会が始まります。ウインナー、ししゃも、ちくわなどの練り製品、野菜、マシュマロ・・・いろんなものを思い思いに棒の先に付けて火であぶって食べ始めました。小さい子たちは数秒で飽きて(?)棒を大人に渡したり、熱くて食べられなくて泣いたり・・・焼く過程よりひたすら食べるのに夢中でした。一方、その間も入れ替わり立ち代り工作や竹馬をする子たちがいました。13時半過ぎ、竹筒の中はまだおかゆ状でしたが、もうこれ以上遅らせることはできないとの判断から、少しずつ竹筒を釜から出していきます。そして14時になってようやくご飯がみんなの口に入りました。ちょっと柔らかかったけど、味は最高でした。
撤収に向けての片付け開始、守る会の方たちにたくさん手伝ってもらって、ようやく15時過ぎに片付け終わりました。米を炊く際の水の比率を教えていただいたり、竹工作を教えていただいたり、いろんな部分で力になって下さったメンバーの方たちは、ご迷惑をおかけしたにもかかわらず「そういうこともあるよ」「今度また遊びにおいで」と声をかけてくださいました。何より講座終了時の拍手がうれしかったです。今回の経験を糧に、またぜひ森に遊びに行きたいものです。
思いっきり遊ぶにはもう少し簡単なお昼ご飯がよかったかも、との反省はありましたが、全体的にこどもも大人もそれぞれにやりたいことをやって楽しめていたようにも思います。こども同士のぶつかり合いやケンカが思ったより少なかったのは、開放的な場の雰囲気や、(スタンスが共有できたため)大人側の気持ちの余裕のおかげかもしれません。今回参加者には「エピソード用紙」を提出してもらいました。また工具類・消耗品をお借りしたポレポレ会(有馬ふるさと公園でプレーパーク活動を行っているグループ)へ、参加者からカンパ1400円が集まりました。



<感想より>

・ 散策路途中の橋を楽しそうに歩いていたのが印象的でした。ただ途中から少し疲れたのか、親から離れなくたってしまったのが残念?でした。

・ こういうプレーパークの雰囲気に慣れている子とそうでない子(親も)と差があるような気がしました。

・ 私自身はこういう所で遊びたかったので、とても楽しかったです。

・ 4才の男の子が、竹を切るのにチャレンジ。苦戦していましたが、最後まであきらめず、切り落としたのがすばらしかったです。

・ 普段なかなかできない体験をさせていただき、とても楽しかったです。また参加したいと思います。

・ 思っていたよりも、子ども達が刃物を使えていたので驚いた。

・ 見守るという立場で、なるべく口や手を出さずにいました。ブランコなど、うちの子がずっと使っていたのでどうするかと思っていたら、待っている子の目線に気づいたのか、譲って違う遊びに行きました。

・ 2才の子は、ノコギリが気に入り、竹が切れるまでずっとやっていました。6才の子は、ナタで竹を割るのを楽しみました。最初はドキドキハラハラでした。

・ ナタを使って割り方を同級生の子どもが教えてくれて、たのもしかったです。

・ ナタ名人の子はびっくり。

・ この場所に初めてきましたがステキな所ですね。いろんな素材があって、次々といろんな遊びをしていて好きな遊びをみつけ出せるのがいいなと思いました。

・ ブランコ・ハンモックの方へ行ったきり戻ってこなかった。よほど楽しかったのか、遠くで泣いている姿を見かけても戻ってこず、しばらくするとまた遊んでいた。

・ 子どもが火をおこすのが楽しかったようで、顔が真っ赤になるまでウチワでパタパタとあおいでいました。竹ポックリも興味があるのに上手にできず泣いたりしましたが、すべてが初体験で親子共々楽しめました。

・ 竹馬を楽しそうにしていた。

・ 子どもも大人も一緒に楽しく竹を切ったり運んだりしてのが印象的でした。

・ ハンモックを独り占めしていた我が子…。遠くから、どうするかを見ていたら2人ほど、そばで見ていた男の子と、どんな話し合いをしたのか、3人で寝転がって乗ってみたり、1人ずつ押してあげたり…楽しい初ハンモック体験だったようです。

・ はじめ来たときは、私にベッタリだったけど、徐々に1人であそびはじめた時、なんでもない葉っぱに夢中になっている姿が印象的でした。友だちとのやりとりは少しだけだったけど、どろんこになって楽しそうでした。

・ 竹の先にマシュマロを付けて焼いていたら、子どもが自らマシュマロを刺して焼きはじめたこと。

・ 初めてノコギリで竹を切って、MY青竹踏みを作ったり、すごく楽しかったです。

・ ハンモックに乗って楽しそうだった。(ハンモックが1人しか乗れないのではないので、乗りたい人の数が増えても何人も乗っていられるのでよかった。)

・ 普段、ノコギリやナタなどを使う機会がなかなかなかったので、最初はこわごわだったのに、気がついたら一人で竹を切っていたのは驚いた(うれしい方で)

・ 川崎にもこんなに気持ちのいい場所があるんだなー。と思いました。こんな場所を残して行きたいなと感じました。

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話し合い
〜親として、地域の大人として、今私たちにできること〜

前回の講座を振り返って

・ 高津区の市民健康の森、少年野球のグラウンド部分の先の傾斜地に竹やぶや雑木林がある。守る会のメンバーの方が開拓して散策路を作った。平らな部分には畑やドラム缶で作った炭焼き釜などもある。

・ 前回の流れとしては、竹を切り出しに行って、片方節を残して切り、中の薄皮を洗った。一方で炊き込みご飯の素を作る人がいて、竹の器に入れる人がいて、上にアルミホイルでフタをした。その後出来上がるだろう時間までみんな遊んでいた。お腹が空いた子たちが竹の枝の先にマシュマロやウインナーをつけて、魚つりのように焼いて食べた。火力が弱かったのと、竹自体からも水分が出たためか、炊き込みご飯はなかなか炊き上がらなくて最後にはおじやを食べた。

・ こどものことを見ていなくちゃ、と思わないで竹細工に没頭。我を忘れられた。こどもの頃を取り返した感じ。

・ 3歳・4歳のこどもたちはほとんど自分から離れて遊んでいた。泣いてるな、と思ってもそのうち泣き止んでいた。最後は全身泥まみれ。見ていたら「やめてほしいかも」と思ったかも。でも見ていなかったので気にならず、諦めがついた。

・ こどもが自分の見えない所に行ってもあまり気にならなかった。

・ 柵の外の崖の方に行った時には思わず「やめて〜」。はるか下に第3京浜が見えて、落ちたらと思いハラハラ。

・ もうじき3歳の娘、自分から離れて遊んで欲しかったのだけど離れてくれなくて不満だったし、自分も遊べなかった。もっと自分が遊んでしまえばよかったな。

・ 娘はそばを離れなかったが、夫は竹とんぼ作りに夢中、夫婦で楽しんだ。娘はマシュマロ焼きが気に入ったようで、その後も公園で落ち葉を枝に刺して遊んでいる。

・ お父さんに竹ポックリを作ってもらった娘は、その後保育園での「缶ポックリづくり」の日に、誇らしげに竹ポックリで遊んでいた。

・ 竹を運ぶ時、3人の男の子たちが「わっしょいわっしょい」と掛け声をかけて息もピッタリ。でも竹を置くと散った。

・ こどもが竹を切る時にノコギリでちょっと手を切ったが、「まだやる」と必死でやり続けていたのが新鮮だった。

・ もうじき3歳の男の子、少し前まではどろんこはイヤだったのに、全身どろんこになって遊んで楽しそうだった。

・ 自分の子がナタを使えることを知らなかったのでびっくりした。

・ 初めは家から持ってきたゲームをしていた小2の男の子、でも次に見たときには違う遊びをしていた。

・ 寝ぐずっているよその1歳の男の子をおんぶしてたら寝てしまった。うちの子ならイライラするかもしれないが、よその子だとかえって幸せを感じる、不思議。

・ 「親の顔色をうかがってこども同士の関係を止めるのはやめよう」という取り決めが事前にあったので、ちょっと棒を振り回しても止めないでいいと思えた。普段よりずっと開放感を感じた。



以下天野さんのお話より

<「都市化」の進行はこども性を殺す>
「都市化」の進行は、こどもから遊びを奪っている。価値観が都市化する中で、田舎に自然が残っていても「ここには何もない」と感じる。お金をかけて自然を引っこ抜いてリゾート施設などを作り、コントロール可能な状態にしてはじめて、何かを作ったという気になる。自然そのものに価値を置かれない都市化の価値観の中では、人間の中で自然性を一番強く持っている(=コントロール不能な)こどもは嫌われる。都市化の中でこどもを育てるということは、コントロール不能なものをコントロールのきく状態にすること。プログラムをきちんとこなせるようにすること。小さいうちから「しつけ」としてそういったことが求められていて、こどもの中のこども性が殺されている。
親自身も「親」ではない「私」を楽しむことが難しくなっている。自分の中のやりたいことをやると「私」に戻れる、それは

心地のいいことで大人にとっても重要なことだよね。でも大人の世界は「善」か「悪」だから、「快・不快」を表すこと自体がいけないとされがち。大人も自分の中にあるこども性を表現しづらくなっている。そういう状況で人間は、体としては生きられるかもしれないが、心の方は生きていかれないのではないか。

<「生きている」という実感の持てないこどもたち>
自分の気持ちや「快不快」を抑え込まれていると、それを感じたり表現したりできなくなってくる。小さい時から「やりたい気持ち」を抑えこまれ、「私」を生きているという実感のないまま生きている、そんな子がたぶんかなり増えている。晴れた日には光と影との境界がはっきりしている。「死」が色濃く映し出され、「生きている」ということが伝わりやすい。曇っていると光と影の境界がぼやけていて、「生」も「死」もぼやっとしていて境界があまりない。「ネット心中」は、死ぬということに対して動機があって積極的ではっきりした境界を飛び越えて「死にたい」と感じて死に向かうのではなくて、境界がぼやけている中での「生きるのやめた」という感覚に近いのではないかと感じている。
「生きている」という実感に乏しくて、「もういいや、生きてなくて」となると自殺みたいな形になってしまうし、すごく衝撃的な形で出ると、例えば猟奇的な犯罪(人の命をいじくってる時に自分自身が生きているという実感を得る)となることもあるだろう。こどもたちと接する中で、リストカットや自傷、摂食障害や援助交際なども同じ傾向があると感じている。自分の体を傷つけることはマイナスだと思うけれど、話を聞くとそれが生きていく手段だと分かる。生きていたという実感も、今生きているという実感も持てない中で、でも自分の体を傷つけると血が出る、痛みをそれなりに感じる、そのことで今自分が生きているということを確認して安心できる。援助交際している子から「あの時だけなんだよね、とにかく自分のことだけをじっと見てくれるのは。その時、私は今生きている、生きてていいんだと感じる」と聞いたとき、今生きてる実感がないのだと思った。

<親が愛情を持って育てていてもそうなる?>親子の関係だけでなく世間そのものが都市化していて、小さい時から都市化になじむようなこどもを育てることがしつけとされている。「都市化」は親の価値観だけではなく、ある意味社会の要請。こどもが嫌がっても親の務めとして「早くこの子を一人前の人間にしなくては」と信じていれば、愛情をかけてしつけをする。でも早いうちからこどもを都市化していくことでこどもたちは、やりたいことをやって生きているという実感を失っていく。それは愛情の問題とはあまり関係がないんだと思う。
殊にその中で適応性の高い器用な子がはまる。最近言われている「いい子」の問題もここにあると感じている。器用でそこそこの能力もある、世間自体が都市化を望んでいて、それを重視する親がいて・・・、たぶんいくつかの要素が重なって、すごくはまってしまう親子関係ができてしまうとその子は自分自身を生きられなくなる。望まれる自分になっていき、それが自分自身ではないということに思春期以降に気づいてくる。「いい子」で育ってきたらそれだけ、これまでの自分を壊すことが非常に難しい。何かを壊さないと自分の世界を作り出せないのに周りのものはすべて壊せない、だから壊す対象を自分に向けることで自分の世界を築こうとする。自分自身の体を傷つけ壊すことで、生きているという実感を少しでも回復する。死ぬためにやっているわけではなく、生きようとする最後の力なんだ。それも過ぎてしまうと「生きるのやめた」になる。
今漫然と、漠然と子どもに広がっている「生きている実感のなさ」、これは都市化が産んだ産物だ。リスク回避・安全優先で、ケガしないように、危ない目にあわないように人間のコントロールできるシステムを作り出してきた。何か問題が起これば、システムが悪いから直す、それを管理する。それを乱す子どもの存在は悪だし、早くコントロールできる人間を作らなければいけない。この循環が都市化で、人間がシステム通りきちんと置かれて、システムになじむように存在する。システムを守るためには誰が生きてたって同じ。だから人間は人間性をどんどん失わざるを得ない。生きているという実感を抱くことが難しくなってくる。

<システム化しないシステムを埋め込む>
都市化の進行は必然的、なぜならみんながそれを望んでいるから。自分の世界を広げて自分らしく生きるには手間もかかる。都市化の提供する便利さを手に入れる代わりに、私たちは自分らしさを売り渡しているともいえる。都市化が進行すると、どんどん細分化し、専門化し、機能が分化して、毛細血管みたいに社会中に張り巡らされていき、隙間がなくなっていく。こどもに対しても、大人の作ったプログラムに乗せて何かをさせる。目的通りにいかなければ、プログラムかシステムかこどもに問題があったか。問題を発見して修正を加える、それが都市化。
でも遊びは目的でなくプロセス、遊びの世界はコントロールできないし、次に何が起こるかわからない。都市化の中では、「遊び」やこどもの中の「こども性」は意識しない限りは残せない。プレーパークは「都市化」された社会の中にシステム化しないシステムを設けるということ。遊び場というシステムを、システム化しない(要はこの中だけは毛細化現象を起こさせないという)形で作っておくというのが遊び場作りなのだと思う。社会の隙間を無理やりこじ開けて置いておくような形で。
都市化の進行する中で、自分が「面白そう」「やりたい」と思うことを自由にやってみることはすごく難しい。でもそういうことをやれたっていいじゃない。例えばプレーパークという、少なくともこの枠の中では好きなことができる、そういう隙間、これ以上は邪魔しないでと言えるような場をたぶん作っておく必要がある。それが「遊び場」だったり「たまりば」だったり。「やりたいことがやれる」というのは、時間・空間に隙間をあけて、人からコントロールを受けない場を作ること。
「どうして健康の森でできたおもしろいことが他でできない?」「こどもがあんないい顔してるのに、親たちは普段なぜそれを許さない?」「約束ができればそれだけの環境を作れるのなら、約束をしてみようよ」・・・そう思った人たちがいろいろ面白いことをやっていって、それが社会のいろんなところで目に触れるようになっていくといいね。するとこどもの様子はずいぶん変わっていくんじゃないかと思う。「やりたいこと」をだれかが代わって提供することはできないけれど、やりたいことができる雰囲気があれば、こどもはそれを勝手に自分で見つけてくる。
「遊びは必要」と思う人がもっと多ければ、都市化はどこかでストップがかかってるだろうし、もっと別の形で隙間ができているはず。そうじゃないからこういう形になっている。でも遊び場作りも自主保育もそうだけど、少数だけど「やりたいこともっとやりたいよね」というところに集まる人がいる。善悪が優先される社会の中で、「いいじゃんやりたいんだから」と快不快をちょっと優先させる人の存在は必要なんだよ。都市化の社会に息苦しさを感じる人もけっこういる。息苦しさの正体が分かりづらく、「善悪」でなく「快不快」の遊びの世界の中にそれを開いてくれるものがあることに気付くまでには時間がかかるけれど。
自分個人の遊びたい気持ちは社会にとって必要ではない、でもそれぞれが遊びたいと思ったときに遊びができる環境は社会にとって必要だよね、本当は。でもそれは必要性で説いてもなかなか難しいかな。都市化の中で窮屈さを感じながらも、便利だから多くはそちらに流されている。都市化が止まらないなら、「やりたいことやりたいよね」と思える、要するに遊びたいと思う人たちが遊びだすしかないんだと思う。

<「ゲームやりたい!」 どうしよう?>
遊びの原点は快不快、ゲームも遊びの範囲だと思ってる。だけどゲームは都市化の遊び、買って消費する遊び。今のこどもの周りの遊びはたいていそう。ゲーム自体は良いも悪いももう避けられないと思っているけど、すごく問題なのは、ゲームよりも楽しい現実がないということ、現実にこどもに魅力を感じさせる力がないということだと思う。
ゲーム漬けだった子がプレーパークでベーゴマはじめたら、一年間ベーゴマばっかりってこともある。ベーゴマは生身の人間とのぶつかりあいだから、思うままにはまるでならない。いろんな選択ができる状態でゲームをやるのと、社会に選択自体がほとんど残されていない状態でゲームをやるのとは、基本的に違う。泥遊びもやれる、基地も作れる、穴も掘れる、都市化されない遊びも含めてやれる中に都市化されている遊びがある、選択はどちらでもできるんだという状態で、都市化の遊びを選んでいる分には、これは選択だ。でも現実的には今の社会は、都市化されない遊びができる状態になっていない。お金を払えばでき上がりが出てくる、自分たちで作り出していくような遊びが残されていない、そのことを考えていかなくては。
テレビゲームは場合によってはこどもによっては救いになってる可能性もあるかなと思う。都市化された世界の中で、壊しちゃいけないルールは守らなきゃいけない、何もかもしなきゃいけない、ずっと受け身を強いられているわけで、そういう中でテレビゲームの中だけは、基本的にはルールはあるけれど、人を殺したりといった現実世界の中では絶対にしてはいけないことをやってポイントが上がったりする。そうやってガス抜きをしてる子はけっこういる。あくまでガス抜きだから発散であって、そこから何かを創造するにはいたらない。ドラクエから何かを創造するって訳にはいかないし。でもガス抜きして、だからこそ日常生活に支障が出ない程度に抑えられているという人はけっこういるよね。



<感想より>

・ 11/23参加できなかったんですが、お話しを聞いてとても楽しそうとかんじました。又きかいがあったら行きたいなと思いました。

・ 『私』の時間は子供が眠っている間だけだなぁ、と改めて思いました。(夜8時から翌朝7時くらいまで眠る子なので、夜は本当に自由!)

・ 皆さんの話を聞いて、11/23に行けなかったのをとても残念に思いました。実際にやってみないと分からない楽しさなんだろうなと思いました。

・ 子どもはもともと遊ぶ能力をもっている。と聞いて今までかわったなーって思っていたけど、ちがってたんだなって納得。そういう環境があれば、いきいきするし、教えなくったっていろんな遊びをしている、すごいな〜って思った。

・ 都市化の中の話、私自身がばく然と感じていた子供をめぐる(でも実は私自身もですが)変な不安、状況のこと、そうだったんだなぁとよく分かりました。都市化の中にからみ取られている、自分から進んでからまれている?ということを意識していることが、まず第一歩なんだなあと思いました。そして、その次は行動することですね。またプレーパークで遊びたいです。今度は私も思いきり遊ぶぞー!

・ 高津市民の森には、行けなかったけど、話を聞くととても楽しい経験をされたのですね。機会があれば行ってみたいです。今日は親も子どもも「やりたい事をやる、やってみる」ことのできる仲間づくり、居心地の良い環境を作ることで楽しむことができるように、自分の辺りをみつめてみようと思います。

・ 都市化されていない空間を望んでいても、都市化されていないものがすべてだとしたら、暮らしていけない・・・。むじゅんしている?なんかあせってきた。心の中のモヤモヤが今日話題にのぼって明確になったのに、あせりが大きくなった・・・かも。

・ やはり子供にゲームばかりをやらせる状態にしないで、いろいろな“快”の経験をさせて、自分のしたい遊びをできるようになってほしいと思った。

・ 遊びはきっと大事、それは直感的に感じることで、そう思うのは遊んでいるこどもらのピカピカした笑顔を日頃見ているからかもしれない。でもそう思わない人もまたたくさんいて、まだ小さいこどもたちをシステムの中に組み込むことが主流になっている。こどもが、遊びたいと思うときに邪魔されずに遊ぶ、そんなシンプルなことさえできない。悲しい。

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保育室からの報告A〜こどもの心と向き合おう〜

講座スタッフ、保育ボランティアグループ「たけのこ」スタッフと受講者で、保育ビデオを見た後に話し合いました。

T.前回の保育室(保育8回目)のビデオより

・朝の受入れ風景、お別れの時間が近づくにつれ、別れが辛くなる。。

・3歳半の男の子、今日する遊びを考えてきていた。「新聞紙出して!」

・お母さんがいなくなり、泣きながらお膝に抱っこされているこども。周りが見えるような姿勢で抱っこ。

・講座開始から10分後、泣いている子はいなくなった。新聞紙遊びが広がってきている。

・「見て見て!」という言葉が、回を重ねるごとに増えてきている。

・「○○ちゃん」「はーい」というお返事をしているシーン。これまで泣いていることが多かった子たちがこうやって返事してくれるようになった、この成長がうれしい。

・抱っこされていた3歳の子が、お友達の遊んでいた音の鳴るブロックがだんだん欲しくなって、ふとした拍子に膝から下りて遊びはじめる瞬間。こども同士のかかわりの中でこうやって遊びに入っていく。

・リュックのタグを携帯電話に見立てて遊んでいる子。高いところにある窓(穴?)から何人かの子が「みて〜」と顔を出す。かごのふたにブロックを入れてお店屋さんごっこもはじまる。

・「外に遊びに行こう」と声をかけると、落ち葉を入れるからとビニール袋を持っていく子がいる。

・靴を履くのもなるべく自分で。他の子たちはちゃんと待ってあげている。「静かに」「走らないで」と声をかけて、公園に出発。

・たけのこスタッフの知り合いのゴミ収集車のおじさんが通りかかり、収集車のボタンを押させてもらう。ボタンを押す女の子たち、その迫力に固まる男の子たち。

・こども同士自然に手をつないで歩いている姿。スタッフと手をつないでいる子たちも。

・公園に到着。落ち葉を袋に入れ始める子を見てスタッフに「ふくろちょうだい」。大勢の子が落ち葉を拾いはじめた。だんだん落ち葉だけでなく砂も入れはじめる。「すごいでしょ〜」と砂で重くなった袋を友だちに見せにいく。

・集めた葉っぱをたまたま投げたら落ちる様子がきれいだったので、その遊びが広がり始める。

・ビービー弾を拾って見せあいっこ。オレンジのと水色のを交換することになった2人、あげるはずの水色ビービーを落ち葉の袋の中に入れてしまったので全部出して探そうとするが、他の子も手を出してきて結局見つからなかった。

・落ちていたなわとびで何人か一緒に遊ぶ姿も。

・「帰りたい」と言って「他の子にも声をかけて」とスタッフに言われた子、「帰るよ〜」とみんなに言って回っている。

・「帰るよ」と言ってもすぐには動けないので、いつも10〜20分前ぐらいから「帰るよ」と声を掛けはじめ、帰る方向に持っていっている。なんとなく「帰ろう」という気持ちになったら出発。

・公園まで距離があるので、かどかどで止まっている。友だちを待つ子、待ってもらった子達は「ありがとう」と声をかける、という関係ができてきた。

・建物に近づくとこどもたちが「シーッ」と指を口に当てる。

・帰ってからおにぎりタイムがはじまる。最初は別のところで食べていたのが、他の子たちの食べているところに若干近づいていく3歳の子。

・新聞紙を片付ける。ビニールに入れるうち、早く片付けて大きな(新聞紙の入ったビニール袋の)ボールで遊びたくなる子たち。


U.ビデオを見ての感想

・3,4歳のこども同士がなんとなく群れて遊んでいる、手をつないだり、なんとなく男の子と女の子に分かれて遊んでいたり。早くから「友だちと一緒に遊ばない」と心配しなくてもいいのだなと思った。感動しました。

・2歳で他の子たちよりちょっと小さかったのでどうかと思ったけれど、楽しそうにしていた。

・知っている友だち以外の子と遊んでいる。いつもの友だち以外の友だちもできていてうれしい。

・1回目の時の様子とかなり違う。来年幼稚園に入るが、どう遊ぶのか見ることができて参考になった。

・大人が言って聞かせなくてもこども同士で解決していくのだな。

・年上や同い年の子と遊ぶ機会が多いのだが、年下の子ともふれあえて譲ることもあるのを経験させる良い機会になった。

・返してもらったビービー弾をお迎えの時見せてくれ大切に持ち帰った。近所の公園でもいつも母から離れない子だけど、いなければいないなりに遊んでいる。スタッフとも手をつないでいて安心した。
スタッフより→「いいよ」ということの多かった子、先日「今はまだ行きたくないの」と自分の気持ちを伝えてくれたのが嬉しかった。

・前は知ってる友だちと遊んでいたが、今はやりたいことをやっていきいきしている感じ。

・講座の前に「泣きに行ってくるね」と言ってる。チャイムが鳴るとお母さんが行っちゃって、また迎えに来るのだと分かってきた。だんだん慣れてきたところで、もう少しで終わってしまうのが残念。

・前回はみんなスタッフにしがみついていたのが、今回は創造性豊かに遊んでいてすごい。公園で待ち合わせて遊ぶのではなくて、公園までみんなで一緒に行けるってうらやましいな。
スタッフより→車の通りも多いので、行き帰りはとにかく必死。命に関わることだから、飛び出してしまう子には真剣に怒る。その気持ちは伝わるみたい。

・きょうだいがいるので同年齢の子と関われるのは貴重な時間、毎週楽しみにしていて、はじけている。

・初めは泣かなかったのに、途中から泣くように。自分を求めてくれていてかわいいなと思える。それも成長だと感じている。また一山超えて離れられるようになるのが楽しみ。

・市民館での保育は2歳頃からよく利用している。初めは嫌がっていたが、4歳になった今では親と離れられるのが楽しくて仕方がない様子。


V.日頃こどもを見ていて迷うこと、悩んでいること、気になっていること(参加者同士で話合い)

★講座が後半に入ってから、離れてくれなくなった。納得させるまでの時間がかかるように。

★1歳10ヶ月頃から、よその子に「ダーン」と言って突進していって叩くように。相手にその気があるわけでないのでケンカではないし、理由があるわけでもない。止めるべきなのか・・・。2歳で一瞬なくなったもののまたはじまってしまって、今は外に出るのが辛い。母である私にもやってきて、私の悲しい気持ちが伝わったら泣き出す。

★2歳の男の子。少し前に片方の目がピクピクするようになって保健所に相談。なるべくやらせてあげてくださいとアドバイスされ、そのようにしたらおさまった。でも家の中の引き出しなども開けるので大変。公園の三輪車なども乗りたくなる、ダメといわれると大泣きして大変。怒り方が難しい。その分、上のお姉ちゃんにがまんさせてしまっているのかな。

★保育で離れるのが大変。「いいよ〜じゃあ一緒に行く?」と聞くと保育室に行く。思いっきり泣いちゃった方が気持ちが落ち着いたりするのかな?一回泣いたらすっきりして泣かなくなるのかな?本当は一緒に行くつもりもないのに、こどもをだましてるみたいでちょっと後ろめたい。これでいいのかな。

★男兄弟に挟まれている女の子。転んでもなに言われても泣かないけど、お兄ちゃんにやられて泣くことが多い。幼稚園に行ったらやられることもあると思う。お兄ちゃんは活発でお互いさまだったり謝る方が多かったり。でももしやられても親には言わないと思う。楽しいことは言うかも、でもイヤだったことは言わないのでは。そんな時どう対処したら良いのか。「行きたくない」と言われたら、どうしたらいいのか。。

★3歳。物の取り合い、貸してあげられない、お店で「買ってほしい」とダダをこねる。いろいろ言っても納得してくれないのでこちらも感情的になってしまう。

★こだわる子の話を聞くと、うちの子はこだわりのないほうで逆に心配。割り切りの早い子、服もこだわらない、けんかもあまりしない。扱いやすいのだけど、この前の話で「いい子」の方が親の言いなりになってしまって大きくなった時に自分のやりたいことがわからないと言うことになる、と言うのを聞いて不安になった。自分も長女で上の子の気持ちが分かるだけに。

★年子の上の子。勝手にがまんして、勝手に泣くという悪循環を繰り返してしまう。上の子をかわいがってきたつもりなんだけど。大人の顔をチラッと見て弟に貸してあげ、しばらくして泣いたり。がまんしなくていいんだよ、というのも変だけど、泣いてることにこちらもイライラして畳みかけてしまうことも。何に対してもこだわりがない、肩透かしを食らってるような。ちょっと心配。

★うちは3歳過ぎていてやっちゃう子。噛むし血も出る。そうじゃないことでも悩むんだ〜。

★3歳5ヶ月、母が妊娠中で赤ちゃんがえり、家でハイハイしたり、赤ちゃん語を話したり。健診の時、内診台にどうしても乗りたがる、でもどうしても乗ってほしくないし。。。

★電話とかインターフォンとかでしゃべっている時に騒ぐ。大事な話の時ほど騒ぐ。対処法はないのかな?

★3歳11ヵ月、お昼寝は必要? 幼稚園に行きはじめた頃はすごくよく寝ていたのに、体力が付いてきたのか全然しなくなった。でも睡眠は必要って言うし。。

★3歳の女の子。上のお兄ちゃんはそうでもないのに、言葉遣いが乱暴かなと思う時があって少し気になる。

★小1と2歳のきょうだい。きょうだいげんかすると、上の子はがまんしていて「(下の子を)怒って!」と言うので怒るのだけど、下の子はかわいくてすぐ許してしまう。「どうしてすぐ許すのよ」と言われる。みんな上の子に対してどれくらいフォローしてる?

★こだわりの強い子、言葉がしゃべれるようになって「ちょっと個性的な部類」まで落ち着いた。マイペースなので他の子とつるんで遊んだり真似したりと言うことが少ないのもちょっと気がかりだけど、頑張って見守って行こうと思う。車が走ってても飛び出して言ってしまう。叱るのだけど慣れてしまっているのかあまり聞かない。対処法はないかな?

★特に執着もなく扱いやすい。それは私が怖いから?

★5歳の子、うちに落ちていたお父さんのタバコを自分の大事なもの入れのカバンに3箱もためこんでいるのを発見。ポケットに入れてよそのうちのおもちゃを持って帰ってきてしまったりということもあって、そんな時どう言えばいいのかな、とちょっと悩む。



<感想より>

・お休みした時の保育のようすだったので、自分の子が見ることができずに残念だったけど、他の子の様子を見て、みんなとかかわりあいながら成長しているんだと思いました。

・前回のビデオでは名前を呼ばれても泣いていたり、だまってしまったりだったけど、今回みんなちゃんと返事をしててそのやりとりがとても嬉しかったです。たけのこさんが喜んでいる気持ちが少し分かった…かな。

・2回目のビデオを見てだいぶなれてきて、楽しそうだったので良かったです。

・公園へ行く時に、全員の準備ができるまで、騒がずに待っていられる皆の姿が印象的でした。少しずつですが慣れてきた所でこの集まりが終了してしまうのが本当に残念です。

・ビデオでは前回の時より成長ぶりが伺えて驚きでした。子どもの創造性はすごいな〜と思いました。後半の皆さんの悩みを聞いていて、各々悩みがあるけど、それも個性なのかな〜と思っていました。

・子育てってとてもデリケートな課題なんだなと思いました。どんなに小さくても子どもなりに考えていることがあってプライドもあり、一方的に親の考えを押しつけてはいけないんだと思いました。どうしても感情的になってしまうことの多い今日この頃でしたが、考え直して“子育て”に取りくんでいこうと思いました。

・今日はビデオを見たりみなさんのいろいろの意見を聞いたりできて楽しかったです。すごくいろいろなお話しを聞けて気付かされました。もっとおねえちゃんをフォローしてあげなくてはいけないと思いました。

・扱いやすすぎるのを悩む人、乱暴なのを悩む人・・・いろいろなんですね。口に出して話せる、それだけでも私自身が軽くなって帰ることができます。参加していてよかった。

・一つの“こだわり”についてでも、あってもなくても悩みになってしまい、なかなかむずかしいと思いました。

・物心ついてから小学校に上がるまでの、日々刻々と変化するこどもの姿は圧巻。お話を聞きながら、一人一人のこどものことを、頭の中ですごく想像しちゃいました。また今度一緒に遊んでみたいなぁ。



<斎藤次郎さんに聞いてみたい!こんなこと>

・3歳11ヶ月の女の子です。色々な社会のルール等わかってきていて、物の善悪は大まかにある程度分かるのですが、その中でもわかっていても言うことをきかないことがあると、母自身そういう悪いところだけ目につき叱りまくり、子は叱られまくりという関係になり、誉めることが少なくなりました。私自身気持ちに余裕がないようです。マイナス面だけが目につくのですが、プラス面も見てあげたいのです。一体どうしたらプラス面をよく見れるでしょうか。

・子供のしかり方

・おねえちゃんの、フォローのしかた(がまんばかりさせてしまうので)

・4歳5ヶ月と3歳2ヶ月の男の子の年子がいます。上のお兄ちゃんが、親や大人の気配を察して勝手にがまんをして、泣きます。(例えば・・・物のとりあい。自分でゆずる。ゆずったあとくやしくて泣く。)お兄ちゃんだから、とがまんさせている覚えは全くないのですが、その気の使いようが子どもなのに気になります。ストレスになっていたりしないでしょうか?(普段は私も大して気にしてません。)

・子供の心により添う子育てをしていきたいと思って、色んな話を聞いています。父親には、その皆話したりするのになかなか理解してもらえない。どうしたら父親に育児参加がしてもらえるのか?色々、物質的なことでは協力してくれるけれど。

・誰それかまわず子どもに向かって叩く子の心理。その時の親の対処法を教えて下さい。

・子どもが被害者になったり、加害者になったりという事件って、どうしておこるんでしょう。起きない世の中にするには何が必要なんでしょう。うちの子だけは・・・・って守ることはできないようなきがする。過激な映像見せなければいいとか、絵本よんでればいいとか、外で遊んでればいいとか、これをやれば大丈夫なんていう特効薬はないと思うのですが、私たちは何をしていったらいいと思いますか。

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公開講座 「子どものことは子どもに習え」 〜子どもに寄り添うということ〜

<斎藤次郎さんプロフィール>
1939年埼玉県に生まれる。法政大学文学部卒業。子ども調査研究所の一員として子どもへのインタビューを始めたのを皮切りに、ずっと子どもの側にいて、子どもへの思いを書き続けた。99年夏から季刊雑誌『子どもプラス』(現在19号)を発刊。子どもの虐待、ジェンダー、食、学力、メディア、戦争、友だちなど、子どもに関するさまざまな問題を取り上げ、おかしなものは変えていこうよ、元気を出してやろうぜというメッセージを送り続けている。『子どもたちの世紀末』『気分は小学生』『子どもの心探検隊』『高校生なんでも相談』『子どもと暮らすということ』など著書多数。



<遊びというのは「無駄なこと」>
こどものことを考える上において「遊び」は重要なことではありますが、でも例えば僕の母なんか笑っちゃうと思いますね、放っておけば遊ぶに決まってるって。昔はいかに遊ばせないでお手伝いや勉強をさせるかが親の仕事、親はこどもと遊びの仲を裂くことしか考えていなかった。いつ頃からか「遊び」はとても大切なことと言われるようになりました。でも「遊び」というのは無駄なことですよね。遊ばなくっても大丈夫。「うちの子は遊ばない」と親が神経質になるのもかわいそう。
「遊ぶ」ことは大切と言われる。例えばブランコ、かわりばんこで待っている間も数を数えたりして、ブランコ乗っている子だけでなくみんなで遊んでいる感じになった時、いわばわがまま言わないことでみんなが楽しいと分かることがあって、だから協調性が育つとも言えるわけ。創造力が豊かになるとか、工夫する力が湧くとか、いろんなメリットがあると言われたわけです。
でも、こどもは協調性や創造力を培おうと思って遊んでるわけじゃないですよね。大人の側にある希望や期待があって、それはこういうために必要なんだと意味づけてこどもに薦めた場合、それは遊びじゃないと思うんです。「遊び」は「無駄」、やらなくていいこと。やると散らかるし物は壊れるし汚くなるしろくでもない、それが遊び。意味があって役立つようなこと以外のことを遊びと言うと思います。ハンドルの遊びという言葉もある。土地が遊んでるとも言う。それは「余裕」、「無駄」。こどもの「遊ぶ」もそうで、余裕であり無駄でありどうでもいいものが、考えてみるとけっこう大切だよねということになるわけ。
僕たちは、生き方の中から意味のないどうでもいいことをどんどんなくして、代わりに役に立つお金になる、意味づけられた時間に変えていった。カラオケに行くのもストレス発散のため。社会で評価される、人によく思われる、そういう要素があればやる意義があるという。どこから見ても意味のないことをとりあえず今日やりましょう。寝るまでの間に、全く意味のないことしちゃった、全く無駄な時間を過ごしちゃったね、ということを。これ今日の宿題。うまくいったら明日からずっと。いろいろやらなきゃいけないのに今日は半分もやらなかったと暗くなって、明日こそ頑張らなくちゃって寝るのはよくない。今日もまたサボっちゃった、意味もないことばっかりやっちゃった、大切なことは何もやらなかった、でも私は元気、こどももまぁ元気、そういう気分で寝ることを習慣付けていくことが「遊び」をキーワードにこどもの育ちを考える基本だと思う。(笑)

<大人はこどもに比べてあり余る力を持っている>
楽しく遊ばなくてもいい、おもしろけりゃ何をやってもいい。そういうことを大人がどれくらい保障できるかってこと。できませんね、そんな物分かりよく生きてはいけないと思います。だから「うるさい」「また汚して」ってお母さんが怒るわけ。親に怒られるくらいのストレスでおかしくなんかならないの。そんな生易しい人たちじゃないから、安心して怒って。ただ怒った後でちょっと言い過ぎたかな、と思えるなら思って。こどもを叱る親の方があんまり正義漢になっちゃうとつらい。
正しいか正しくないかなんかどうでもいいこと、だって正しいかどうか分かんないことは山ほどある。イラクに派兵するのは正しいの?イラクとアメリカどっちが正しい?パレスチナとイスラエルは?僕はどっちが正しいかということはあんまり気にしない、どっちが強いかってことを気にするの。戦争とかもめごとがあった時、僕は弱い人のほうを応援する。自分は弱いと百も承知で、戦っても勝てそうにない相手と戦わなければならないとすれば、その弱い人たちにはきっとよく聞けば理解できる内容があると思う。強い人は正しくなくても勝っちゃうから、あまり信用しない方がいいんじゃないかと僕は思ってます。
それは戦争だけのことじゃなくて、こどもと親がもめてたら、そりゃぁこどものほうがきっと正しい。勝てないのが分かってて抵抗してるんだもん。大人は力が強いので、こどもを自由に支配したりという風に自分の力を発揮するのが一般的だと思います。こどもに比べてあり余る力を持つ大人が気をつけなくちゃならないことについて今日は話したいと思います。

<「押しつけること」と「もてなすこと」>
ごく簡単に言って大人はこどもに対して「押しつけること」と「もてなすこと」しかできないと思う。押しつけるというのは、巧みに誘導するのも全部含めて「こうあってほしい」という親の思いをこどもに投影して思うようにさせること。なんとかしてピーマンを食べさせようとする。それも全部親の愛に発してるでしょ?こどもにはよく分かってるんだと思う、そういうこと。何で食べたくないもの食べなきゃいけないの、眠くないのに寝なきゃいけないの、お風呂から出たら暖かいし気分はいいしすぐに何か着なきゃなんないなんて訳分かんないと思うけど、訳分かってる人がこどものために押しつけるのね。
でも「押しつけ」だけだと不憫でしょ?だからもう一方の手でもてなすわけ。サンタクロースってほんとにいいなと思います。親がこどもに物をあげる時、恩着せがましくなれるにもかかわらずあえて匿名にしてこどもを喜ばせようとする。恩を売るよりこども喜ばせたい一心で。ディズニーランドに連れていくのもそう、それは「もてなす」気持ちなんですね。
押しつけるだけだとバランスが取れないので一方でもてなす、その両方を使い分けていくというのが、上手なやり方かなと思います。それはどっちも必要なことでね、僕は「もてなし」だけで押しつけないようにしたらって言ってるんじゃないんです。

<寄り添うという関係>
大人主導の「押しつける」「もてなす」の他に、もう一つ「寄り添う」という関係がないといけないかなと思います。ただこどものそばにいればいい、でも「ここにいなさい」とは命令できないわけです。こどもにも親にもそのつもりがある、つまりお互いに寄り添っているということ。気持ちが一致してないとできないわけ。ちょっと黙るとこどもの息とか鼓動とかが聞こえるような、そんな近くにいて役に立つことはなにもしない、こどもの「今」に僕たちが感化されている時だと思う。
こどもの時間の中に僕たちが入っていく時、こどもの「今」が壊れちゃったりするものです。ただ気配を消してればいいということではない、難しいようですが日常的にみなさん経験あると思います。ふと呼吸が合う、なんとなく顔を見合わせてこどもがにこっと笑う、特別のことは何もないけど、こどもは100%の安心をそこに感じている。理屈じゃなくて、意識もせずに手と手がふれあってしまうようなちょっと色っぽい感じ。そういうところでこどもとの間に何かが通い合う、そんなことが特にこどもが小さいうちは毎日あるといいと思いますね。絵本読んでも夕焼け見ても、何してもいいですけど、どれもいわば口実。絵本を口実にふっとこどもと同じ時間の中にいる、そこに自分をあまり持ち込まないということが大切だと思う。
こどもの話を聴く時もそういうところがあって「この機にちゃんと言い聞かせてやろう」と思っていると、こどもの話は聴こえなくなる。僕には苦い経験があって、相談されたらなんとかその人が納得してくれるように答えなくてはと思ってた。すると相手の話が聴こえなくなりどう答えるかに意識がいく、それはむなしいことです。相談する人は根っからそんな答え求めてなかったとやがて分かるわけ。ただ「そうなんだ」って聴いてれば、本当に大変だと思うことが多いから、つい涙が出たり、声が詰まったり、相手もだんだん話し方が穏やかになっていって、それで終わり。それですごい喜んで(フリして?)帰る。僕は喜んでくれたんだからいいやと思うしかない。悩みごとを抱えて相談に来た人との関係は、どう考えても対等ではない。しかも大人とこどもでは、目の高さから何から相当差があるわけ。こどもの話を聴くというのは、本当に聴く気にならないと聴いたことにならないような関係です。でもこどもの話を単に聴いてやればいい子に育つというわけでもないのよ。聴いてやっても聴いてやらなくてもいい、本当にそう。「まったくお母さんは」と言われて反省すれば間に合うかもしれない。

<自分を人の目や評価から解放する>
親はこどもとの関係において、常に答えを求められていて、なにかできなければいけないと思い込んでるわけ。それは親としての自覚でもあり、そうでなければやって来られなかったしこれからもまたずっと思い続けていくこと。でもこどもの話を静かに聴くというくせをつけるということは、それを時々ゼロにリセットするという、そういうこと。お母さんは助けにはなるし頼りにもなるけど、邪魔なんだよね。こどもは押しつけるお母さんを邪魔に思い、もてなしてくれるお母さんは頼りにしてる。でもそのどっちでもない「消える魔球」みたいなものをふとこどもに投げてやる、そういうことを考えていかなきゃいけないんじゃないかという気がします。こどもに寄り添うというのは、こどもでなく僕たちの問題。僕たちがいかに自分を人の目や評価から解放するかということ。それを抱えている間はゼロにはなれません。
僕は良寛さんが好きです。一生涯働かないで人からいろんなものもらって、お酒もタバコもお米ももらって、最後には恋人もいた。それでひたすらこどもと遊んでたといいます。なぜ彼はこどもの邪魔にならない存在だったのかというと、もう捨てるものがないからです。普通の大人がこどもに寄り添った時間を持つために、持っているいろんな物を捨てるのは容易ではない。捨てるというのは無防備になること、こどもとの間では非常にいい感じになるかもしれないけれども、どこかバカっぽくて無防備、危険にさらされている感じ、そういうことになる。こどもと合うような状態にリセットできるかどうかというのは、大げさに言えば覚悟の問題。それはこどもをしっかり育てていくためではなくて、今僕たちが生きていく上で真剣に考えていかなければならないポイントの一つかなと僕は思ってるんです。

<工業社会の子育て〜未来から逆算した今〜>
その時代その時代のこどもに対する見方は、その時代の経済の、ものを生産している、一番大切な営みのありように規定されてるんじゃないか、というのが、ここ半年くらい思ってることで、すごいこと言うでしょう(笑)。狩猟採集民族社会、貝拾ったり猟をして暮らしている社会の子育てはすごく大雑把だっただろう、目標も立てなかっただろう、こどもに特別な期待もなかっただろう、わりとのどかで、動物がこどもを育てるように育てたんじゃないかと思う。農業社会になると、種をまいて、丹精込めて育てると秋に実りがある。一生懸命努力しても必ず実がつくとは限らない。ちゃんとまいて育てても、うまくいくところといかないところがある。思い通りにはなかなかならない、思い通りになったら本当に運が良かったんだ、よかったねって。
今は工業社会、工場の組み立てのラインみたいなものを工業社会の一つの基本のパターンとして想定していけば、どういう手順で何をどう組み立てるか、マニュアル通りにきちんと作っていけば、ほぼ同じ機能のものが揃えられていく。それから少しはずれたものはクレームの対象になる。そんな社会の中で生きていると知らず知らずのうちにこどもについてもそういうセンスが生まれてくる。3歳でこれだけ、4歳でこれだけ、小学校に上がるまでにこれだけ、小学校6年間でこれだけを教育し、一つずつパーツを組み立てるように育てていけば、二十歳になれば、三十になればこういう人になってというラインがあって、そこにこどもが流れていくという。僕たちのものの考え方の基本はそういうことじゃないかという気がしている。
だから大人はこどもを「今」のまま見られない。学校に行った時の、大人になった時のことを思うわけ。こどもが乱暴だ、すぐよその子をぶつなんて時、謝るのが大変と思っているうちは全然健全、もう謝り上手になるしかないんだよね。でも「思春期を迎えてもっと大きなことで人様に迷惑をかけたら大変、我が子が犯罪加害者になった時のことを考えると夜も眠れません」と5歳児の母親が心配する。大丈夫、すぐには思春期を迎えないんだから。今そんなことで悩んだってはじまらない、上手に謝りなって。今のこどものことを解決しているんですけど、次のことを考えてそれで不安になってしまう、よくあること。

<ちょっとへそまがりに>
いつでも先を思うのは、親がこどもを大切に思っていい感じで育つことを心から願っているからこそ。でもいつもそうだとこどもの「今」は未来から逆算していくものになる。中学に行くために小学校のプロセスを経、高校に入るためにはどうすればいいかから逆算されて今がある。不登校になると、この子の心に何が起こったんだろう、学校の環境にどんな問題があるんだろう、なんてことはどうでもいい高校に行ければ、と先回りするような変なこともある。いろんな価値観から自分を上手に逃がして、限りなくゼロに近く自分をリセットしてこどもの「今」と出会うには、こどもの未来に対するさまざまな妄想を捨てなくちゃ。
例えば何時になったらやめると約束したゲームをやめないこどもを前に、約束は守らなくては、ゲームは良くないから早くやめさせなきゃと怒る、それをこどものためだと思う。でもそれは今の子どものためじゃなくて未来の子どものためだよね。未来の子どものために今のこどもを馴化したり矯正したりすることが、全体としてのこどものためだ、という考え方。
僕たちはそう考えざるを得ない社会の中で生きてる、それを自覚して時々ちょっと逃げてリセットしちゃう。70%位世間の相場にあわせて生きていくけど、時々そこから降りて自分とこどもとのところに戻ってくるというセッションの組み方を考えていく。時代の流れみたいなものは時々正義面をするのでそこから下りるのは大変、でも世間の言った通りにしないのは面白いから。簡単に言うとちょっとへそまがりに生きる、世間にあまり素直にならない。そんな風にしてみるといいかと思います。
昔の親は忙しくて、こどもを背中にくくりつけてたらいで洗濯板で洗濯して、まき割ってご飯炊いて、それでこどもを育てました。他のやり方がないんだから洗濯板でこするっきゃないじゃんって、それでやれちゃったわけですよ。僕はむしろ今の女達の方が大変だと思う。これからは子育ての外注システムにも企業がビジネスチャンスとばかり入って来ます。それを上手に利用することも悪いことじゃない、でもこどもはなまものだから現実的に向いてない。人任せにもできないし、機械化もできない、体も気持ちも使うアナログの世界。逆に言うと合理化しきれないで残っている、そういうものがこどもと一緒に暮らしていくこと。自主保育なんてあきれ返るよね。全部みんなでやる、ひとりで育てるよりもグループでやれば多少手も空く、こどもによってみんな要素も育ち方も違う、話し合っていけば知恵も湧くよねって、もっともな話だけど、でも幼稚園に預けた方が楽に決まってる。そういうところにへそまがりがある。いろんなタイプのへそまがりがいて、曲がってるはずなのに、こどもとはぴったりチューニングがあっている、そんな関係を考えなくちゃいけないんじゃないかな。

<質問より「こどもが被害者や加害者になるような事件が起きない世の中にするには」>
「こどもが被害者になったり、加害者になったりという事件って、どうしておこるんでしょう。起きない世の中にするには何が必要なんでしょう。うちの子だけは・・・って守ることはできないような気がする。過激な映像見せなければいいとか、絵本よんでればいいとか、外で遊んでればいいとか、これをやれば大丈夫なんていう特効薬はないと思うのですが、私たちは何をしていったらいいと思いますか。」という質問。本当に今みんなが考えなくちゃいけないのはこのことだけだよね。答えがそう簡単には転がってないのは分かると思う。こどもが加害者や被害者になる辛い事件が後を絶たなくて辛いです、でもそんなには多くない。絶対自分の子がならないかと言われればそうは言えないし手立てもないですが、どこでもしょっちゅう起こっていることではない。こどもの被害者に悪いことをする大人達とそのこどもとの力関係は、圧倒的にちがうから、守るのはほんとに大変。川崎でも何種類かのCAP(こどもを暴力から守るためのプログラム)が活躍しています。自分のイヤなこと、いいことは瞬時に判別して、そのことを軸に対応を考えられるようなこどもを育てなきゃ、そのためには自分を大切にするということがどういうことなのかをこどもと一緒に考えていかなきゃいけない、それがCAPの流れ。でもたまたま車に乗った本当に凶暴でどうしようもないことを考えている人が通りかかったということについてはどうにもできない。一般にこどもの不幸な事件を検討してみると、その子の上にいろんな種類の不幸が重複している、重なっているということがいっぱい見て取れます。佐世保の加害者のこどももそうでしたし、その1年前の長崎のこどももそうでした。一つの理由で、一つの不幸で、そのことがある少年や少女を加害者や被害者にしてしまうという不幸はあまり考えないでいいと思う。

<こどもを怒るとき>
質問に書かれていることの中に含まれているような要素があったので、それをお話しします。こどもを怒っちゃいけないなんてことは全然ない。「叱るより褒めろ」なんて訳の分からないことを言う人もいるけど、褒める時は褒める、叱る時に褒めてどうするの。怒っても大丈夫だから思う存分怒って。それで時々様子を見ることが大切。怒るということは、その子がやったことがお母さんには許しがたい、著しくお母さんの機嫌を損じたと教えること。テニスの判定員が「ボールがでました」って旗揚げる、あんな感じ。ファウルだから「ファウル」と言うことが怒るってこと。こどもにとっては「またやっちゃった、また怒られた」という信号。ファウルした時に気がつかないとまずいから、怒んなきゃいけない。
怒る時は、怒ってる方も怒られた方も腹を立てて機嫌が悪い。で、機嫌が悪い者同士の間で大切なことは伝わらない。コミュニケーションっていうのは内容じゃないの、お互いの機嫌なの。だから言って聞かせるのはおやめ。悪いことしたらちゃんと怒る。言って聞かせるのは後。機嫌が直って忘れちゃうようなことは言わないでいい。でもやっぱり気になる時は後でちゃんと話したほうがいいと思う。その時は真剣に自分の、親としての意見を言う。そんな時、こどもにはまあほぼ通じますよ。
その時こどもの話も聞こうよ。こどもの言い訳って大切。また始まったって気持ちで聞いてあげて。うそをついたらそれも面白いじゃん。うそつくってことはたいてい悪いと思っていてほとんど反省は終わっている状態だから「いい子じゃん、うそ言ってごまかそうとしてる」って思って聞いてあげて。お母さんが頭ごなしに怒らないで話を聞いてくれるとなると、こどもはだんだん饒舌になりますよ。空想癖の強い子なんてお話作っちゃう。それにも付き合ってあげましょう。「言いたいこと全部言った?」「言った」となったら「さっきやったことはいいことだったと思う?悪いことだったと思う?」って聞いてみて。「いいことだった」という子はまずいない、「悪いことだった」と言う。じゃ、もうやっちゃだめよで一件落着。それで明日からしないわけじゃない、またするの。でも全部そんな丁寧にやってたら身が持たないから、ここと思うときはそうやれるといいよね。
つまり寄り添うっていうのは、こどもが寄り添うわけじゃなくて、明らかに大人のイニシアチブでこどもと体をあわせる。そういう時こどもの話を聞いてやるということはすごく大切だと思います。言いたいことが言えない時は、何らかの形で自分を守らなきゃ、親の言うとおりになるものか、「悪くないもん」ってがんばったりする。こどもの思いを吐き出させてあげられるといいよね。それだけの気持ちの余裕がこっちにないと意味がないから、自分の調子も整ったということを自覚することが大事。

<質問より「上の子のフォローどうしよう」>
下の子がかわいいから多少上の子が割り食っちゃうようなケースは多いけど、すぐかわいくなくなることが分かった上でならしょうがない、運命だから。下の子が生まれて淋しい思いするぐらいでぐれることはない。こどもにストレスがからないようにするっていうのはあんまり考えないで下さいな。ストレスなく生きてくなんて、気持ち悪いでしょ。ストレスもあるし、ストレスを発散することもある。言えないつらさもあるし、言うことによって元気づくこともある。こどもにストレスがかからないように神経をすり減らすと今度は親のストレスになるから、もっと自然にしよう。下の子のことばかりかわいがり過ぎたと反省したら、とってつけたように上の子をかわいがる。考えなしに発作のように(笑)。発作っていうのは身体的なことも含めてわりとバランス取ってるって。その時その時にやって後悔する、後悔して改める、そういう感じで。

<親よりもよその人の影響を>
褒めるのは上の人のやり方、目上の者が褒めて遣わすわけ。褒める代わりに「よかったね」とか「ありがとう」というべきことは多くて、その代わりに「いい子」というのはいい感じじゃないような気がする。怒る、褒めるじゃなくて、一緒に怒る・泣く・喜ぶ、そういう根幹のところでこどものことを捕まえるというか、こどもの今に入っていける大人がこどもにメッセージを送った時に届いていくんだろうな、と思う。
でもメッセージが届かなくても大丈夫。届かなかったらどうしようなんて心配しなくても大丈夫よ。どうせ親のこどもに与える影響なんてたいしたことないの。ほとんどがよその人の影響だから。こんなこと親も知るまいっていろんな情報をどこからか仕入れてどんどん自分を作っていくわけです。自分のこどもにだけいろんなことを働きかけていい子にしようって思ってるのは、ものすごい勘違い。そんな無駄なことやらないで。もしもその親がこどもに80%影響を与えちゃったら、よその人から受ける影響は20%分しか残ってない。それは親のコピー。なるべく親よりもマシな人になってもらいたいわけだから、あんまり影響与えないで。(笑)よその人から影響してもらえるようにぐらいでちょうどいい。そう言ってもまた日夜影響を与えるんだから。
それから「無駄」の約束。寝る前にまたやっちゃったって思い出して楽しもうね。そうやって有意義でない時間をなるべく作り出すような生き方をしていくと、自然にこどものことがちょっと分かるよになってきたかな、ということになります、きっと。



<感想より>

・ 子どもの将来や未来を心配して先のことを考えてしまうけど、今が大事であることがよく分かりました。コミュニケーションは内容ではなく、機嫌が良いかどうかで決まるという事に納得できました。一緒に喜んだり、共感できるように寄り添いたいと思いました。

・ 今日は楽しいお話をたくさん聞かせて頂きました。子どもの先の姿を考えながら、生活しているなぁと思いました。ゆっくりと過ごす時間、大切だなぁと思いました。

・ 笑顔がとても素敵でした。“大丈夫”という言葉が印象的でした。私も大丈夫なんだと思いました。今日は寝る前に“遊び”の事を考えて笑っちゃいそうです。ありがとうございました。

・ たくさん笑いました。講座というとつい身構えてしまいますが、メモも取らずにリラックスして話しを聞くというのは、いいなぁと思いました。ゼロにリセットする、コミュニケーションは気分が大事。無駄なことをするなど、リラックスした頭と心にポイントとなる言葉がすーっと入ってきました。とても面白いひとときでした。

・ 子育てについてのお話を聞いて・・・一生懸命にして、イライラすることが多かったのですがスーッと肩の力が抜けた心地よい気持ちになれました。子どもと向き合いリラックスして、これから付き合っていこうと思いました。すごく楽しい時間でした。

・ 子どもの立場から気持ちや、大人に対する視線をよく見てるな〜と感心しました。すごい!なかなか出来ないことだと思います。叱り方のポイントはとてもためになった。“Naturalに”って言われて少しホッとしました。

・ 肩の力が抜けて心がほぐれました。ありがとうございました。

・ 大変、有意義な時間で来れて良かったです。こらから午後、無駄な時間を過ごします。

・ 「世の中○と×で決められることはない」ということ、子どもと親の関係もその通りだと思いました。いろいろな実例をあげられていたが、それもあくまでも一例であって、親子の数だけやり方がある。子育て情報が泥濫しているが、肩の力を抜いて自分のスタイルを見つければいいと思えるようになりました。「おしつけともてなし+寄り添う気持ち」子どもとの関係だけではなく、すべての人間関係にあてはまる大事な事だと思いました。

・ 子どもは怒っても大丈夫、と聞いてホッとしました。夜、今日もまた怒ってしまったと寝顔を見ながら反省することが多かったので・・。機嫌が良ければ通じる。嘘をつく事をすごく怒っていたのですが、嘘をついたらそれも面白い。嘘を聞いてあげて、ちゃんと付き合ってあげると仰っていたので、これからは是非そうしなければと思いました。お話を聞けて、すごく良かったです。

・ 今日、家に帰ったら子どもの息づかいを聞いてみよう・・かなと思いました。

・ とても楽しかったです。もっと子育てを楽しくしていきたいなと思います。

・ 結構今まで、一見普通の人でも根はひねくれ人生を送ってきたので、お話を聞いてこれからもそれでいいんだぁ!と気が楽になりました。

・ 子どもを怒った後に、いつも怒りすぎと反省して自分を責めてしまうことが多く、お話しを聞いて、自分自身にも心に余裕を持つようにして、子どもの話しをたくさん聞いてあげたらと思いました。楽しく聞くことが出来ました。ありがとうございました。

・ 親がレールを引きすぎる時代って嫌だわ・・。と感じでいたので先生のお話が聞けて、とても良かったと思いました。ありがとうございました。

・ 毎日「〜をしなければならない」という、しがらみを抱えて時間に追われカリカリしながら過ごしているのですが、斉藤さんのお話を聞かせて頂いて肩の力が抜けました。子どもとの関わり方を考える良い機会になりました。とても楽しかったです。ありがとうございました。

・ 寝る前に「今日は何もしなかった。無駄なことをしたなぁ。」と言える日を増やしたいと思った。そして、子供と一緒にいる時間を思いっきり遊びたい。家事ばかりする事がやりがいみたいに過ごしてイライラすることばかりの最近。所々笑えるお話で、子育てのスパイスをもらいました。

・ 難しいことは何一つ仰らないので、とても楽な気持ちになりました。無駄な事がとても大事というのが印象的でした。いつも時間に追われてる気でいて、子どもにも焦りが伝わっている気がしていました。今後は心がけたいと思います。

・ 初めて先生の話を聞きました。独特な口調(ピリカラ?)でとても楽しかったです。ホント今の時代は、世間の相場に合わせて生きているなぁと感じます。(特に教育というか子育て面で・・。)なるべく、リセットしていければいいなぁとつくづく思いました。コミュニケーションで大事な事は、“機嫌がいいこと”も面白かった。私も心が落ち着いていることが前提だと思っていたので、これからの実践に役立てていきたいです。また、是非お話を伺えればと思いました。ありがとうございました。

・ 自分に余裕を持つことがとても大切だと言う事が分かってはいましたが、改めてその大切さが分かりました。子どもの話に今以上に耳を傾けたいと思います。

・ とても気持ちが楽になりました。私も夫も、まず頭で考えてしまうタイプなので子どももとても理屈っぽいです。これからは子どもと無駄な時間を過ごしたいです。

・ 新聞の相談コーナーを読ませて頂きました。一度お話を伺いたいと思っていたので、今回お話を聞けて本当に良かったです。また、機会がありましたら是非このような講演会に参加したいと思いました。ありがとうございました。

・ 子どもの“今”を見ること、とても難しいことですね。小6の娘が不登校になりました。初めは彼女の未来しか見えず、励ましのつもりが押しつけになっていました。(正義面していました)しかし、その押しつけを彼女が反発し、何度も本気でぶつかり合いました。その時は、自分自身落ち込んで、お互いに傷つけ合っていることに苦しみました。それこそ後悔の連続でした。でも今は、彼女のそのままを見ることができているような気がします。“今”が大事なことを実感している自分がいます。あんな風にぶつかり合っていたのに、今はお互いにとても安定した関係です。寄り添うことがどういうことか、少しずつ見えてきた気がします。今がとても機嫌が良く幸せな日々です。

・ 「子育ては合理化できない。生物だから・・」同感です。子供と一緒に過ごす“無駄”の大切さに改めて気がつきました。また是非、先生のお話を聞きたいと思いました。子どもに寄り添っている先生だからこその実感あるお話で良かったです。母親の目線にも立って頂き、励まされました。

・ 子どもとの関わりを「楽しんじゃおう!」と思いました。楽しむ時や叱るときの様子をじっくり見ていきたいとも思いました。楽しいことや面白いことを感じているときの子どもは、それに集中しているからだ、と聞いて実感しました。(息子2人の様子がそうなので・・。)叱っている時の嘘や言い訳をするという事も、ほぼ認めているからだというのに「そうなんだ!」とこちらも実感しました。子育て進行中で“子育て中での”話を聞くと、自分の気持ちもホッとする時間が持てました。

・ なんだか「〜しなくちゃ」という事に埋め尽くされがちな毎日の中、肩の力を抜いてラクに楽しくやってたいんだよね、本当は・・。としみじみ思いました。「〜でなければ」「〜しないと」っていう言葉(考え)、知らない間にいろんな物を切り捨ててしまっているんですよね。

・ 中1の娘と小5の息子を持つ母親です。息子は時々どもる事があり、学校生活に不安があります。幸いよい友人に恵まれ、いじめ等にはあっていません。また、学級会でもどもりながらもどんどん意見を発言する、ということなのでそのままにしていたのですが、中学生になってからの事が大変不安でした。“今を参加する”というお話で少し気持ちが楽になりました。私は母としては威圧的な方ではなく、のんびりと育てた事が外圧に弱い原因かと上の子に対しても感じることがあります。人からは気が長い方だといわれますが、私としては子ども自身に気づいてほしいのでよっぽどの事がなければ怒りません。子ども達が思春期に入り、今のままでよいかは分かりませんが自分が楽しく生きることが、良い環境を与えると信じています。ありがとうございました。

・ 無駄な時間を過ごしてるなぁって思う日が多々あって、これってまずいんじゃないかな・・と最近考えていたところ、次郎さんのお話を聞けてホッとしました。怒られて泣くんじゃなくて“ケンカに負けて泣いてる”にも納得しました。それから、子どもの嘘にも耳を傾けていこうと思いました。

・ こどもに寄り添うということ、考えさせられました。枝葉にばかり目がいって、これはこどものために悪いんじゃないか、こどもにとって必要なことは、ということばかり考えていたような気がします。本当に必要なことってシンプルだ、もっとシンプルにこどもと過ごしていきたいと思いました。

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親子でクリスマス会

講座スタッフと受講者で、一品持ちより&プレゼント交換のささやかなクリスマス会をしました。パネルシアターを楽しみ、最後にたけのこスタッフのみなさんがこどもたち一人一人にメダルをかけてくれました。私たちからもたけのこさんに感謝の色紙を贈りました。講座全体の感想を書いてもらったので、紹介します。

T.講座を受講して――私自身の変化

・ 子どもをせかすのではなく、どんな思いを持っているのかなとじっくり考えるようになった。怒る回数もへってきた。

・ 前よりさらに、けんかを止めるタイミングがおそくなった。子ども同士のけんかにカリカリしなくなった。

・ 先生方のお話に、毎回心が軽くなって肩の力を抜いて子育てできました。子どもを管理してしまうのではなく、子供にまかせて大丈夫、と自信をもてるようになりました。

・ 子育てについて、子供の自由にさせてあげていいと思いはじめました。全てがうまくいく事はなくイライラする時もありますが、これからは肩の力を抜いて子育てをしていこうと思いました。

・ 「・・・しなさい!!」と子供に言いつける毎日でしたが、もっと肩の力を抜いて子供と接するように心掛けるようになりました。それと、親の目線で子供に意見を押しつけるばかりでなく、子供の目線に立って子供の意見を聞く、子供に判断させる機会を持たせる余裕が少しはできたかな、と思います。

・ 子どもがぐずっている時に、一呼吸おけるようになった。

・ お話しを聞く都度に思うことはあったものの、変化は特に自覚ありません。子供に聞いてみよっと、お母さん最近違う?って。

・ たけのこで、我が子を見ていただいている間に「私の時間」を持てたこと、自分の時間のなかなか作れない、子育て進行中「私を振りかえり見る時間」でもあったことに、終わってから思いました。また、子どもと離れた数時間、親子共々成長したと思います。

・ 子ども同士のけんかを前よりも余裕をもって見守れるようになった。世間体とか他の人の目などを気にし過ぎないで子どもの心に寄り添ってやろうという気になった。

・ もっと力を抜いて子供のそばにいていいのだというメッセージを毎回もらって、できるだけそうしていたいと思えるようになりました。周囲から「いい母親」と思われたいという気持ちが今まで強くて、それに子供をまき込んでしまってたなと思います。反省は時折できるのですが、まだまだ実行できてないかな・・・。少しずつ今の子供の時間を大切にして、そばに寄りそえるようにしていきたいです。

・ 1日おこってばかりいたナァーと反省する毎日だったのですが、頭で考えず、自由に子育てしていこうと思えるようになりました。おねえちゃんにがまんばかりさせているので、フォローしなくちゃと思っていても、しかってばかりの毎日で、かわいそだナァーと思ってるのに、あまりちゃんと話しを聞いてあげられなかったりとすごい気にしていましたが、気持ちがすごくらくになりました。

U.特に印象に残っていること

・ イヤだ!イヤだ!と言いながらも、たけのこさん保育であそんで、迎えに行った時の子どもの笑顔。それをいつも楽しみにしていました。今日も楽しかったんだな〜って何も言わなくても感じ取れました。

・ 健康の森のプレーパーク。私自身もリフレッシュできたし楽しかった。子ども達がいきいきして楽しそうで、いつもと違った一面が見れた。

・ 斎藤先生のお話は、今まで聞くことがなかったような斬新なもので、結構笑えることもあり、参加できて本当によかったです。自分の子育てが、はたから見たら、コッケイなことであることにも気づきました。

・ ケンカをすぐ止めていたのですが、「大人は温かい目で見守る」と聞いて、なるべく実行しています。思いきりけんかをさせ、すっきりさせる。その通りだと痛感させられました。

・ 健康の森に出掛けたのが私自身も子供のいろんな発見ができて楽しかったです。特に子供が楽しめる遊具もなかったのですが、子供なりに身体を自由に使ってとても楽しそうだったし、竹を使ってご飯をたいたり子供達が自分で遊び道具を作ったりして、とても貴重な体験ができたと思います。

・ 祝日に竹ごはんをみんなで作ったこと。(また機会があったら行きたいです。)

・ 全体を通して、遊びの今と昔(自分が子供だった頃)で、子供の欲求や好きなことにそう大きな変化はないようですが、社会や大人から子供に与えるものが違ってきていると感じました。自分の欲求のままに表現できる子はまだ幸せなのですネ。聞き分けのいい子(親からすれば扱いやすい子)の内面にももっとかんしんを向ける必要があると思いました。我が子はモノをつぶしたり、いじったりが大好きで、よく私を困らせましたが、今は“これがいいんだ”とむしろ喜んでいます。

・ 子どもの遊びは時代と共に変わって来てるけれど、本質的には遊びは子どもの仕事。「楽しむ」関わりは親も楽しんで子育てしていこうと思え、肩の力を抜いて自分らしく子育てを見つけしていけばいいと、ホッとひと息の最終講話の日でした。

・ たけのこさんの保育。子どもが本当に楽しんでいた。最初は親と離れて泣いていた子どもが、自分の力で自然に自立していくように見守ってくれる保育はなかなかないと思う。素晴らしい保育ボランティアの方に出会えてとても嬉しかったです。

・ 毎回魅力的な講師の方のお話で、どれもとても印象深かったです。カリキュラムの順番も今から思うとよく考えられていて、最後の斉藤さんの話まで、どれもすんなり心に入ってきました。特に、というと、プレーパークを楽しめなかった私に、じっちゃんとスタッフの方が、親も楽しんでいいんだよって言ってくれたことがいちばん嬉しかったです。

・ プレーパークは、すごくお天気もよくきもち良かったし、竹で作ったたきこみごはんもおいしく、くしにさしてウインナーやマシュマロ子供もよろこんで食べていました。



V.全体を通しての感想

・ この講座ではじめて、講師の方たちの話しをきいて視野がとても広がりました。私1人の考えでは空回りしていたことも、納得して子育てに入れる気がしました。

・ これまで、自主保育やプレーパークなど、話に聞いたり新聞などで読んだりしたことはあったのですが、どんな感じなのかハッキリとイメージすることができませんでした。今回の講座を通して、自主保育やプレーパークのことを具体的に知ることができ、これまでの自分の子育てをふり返って考えさせられる部分や共感できること等があり、とても有意義な講座でした。

・ 健康の森に行く機会がまたあったらいいのですが、企画していただけないでしょうか・・・。

・ すごくすばらしい講座でした。スタッフの方、とても大変だったのでは?と思います。本当にありがとうございました。このような機会があれば是非参加したいです。

・ 今回の講座は、今まで受講してきた講座と違って、外に出掛ける機会が多かったし、講師の方々もとても良かったです。保育の方達にもとても気を配っていて、話を聞く機会があったのも良い事だと思います。議事録もびっしり書いてあって充実していました。後半しか出席できなかったのがとても残念でしたが、有意義なひとときを過ごせました。スタッフ、そして保育の方々、本当にご苦労さまでした。そしてありがとうございました。

・ 最初新しいお友達ばかりで、子どもはすごく不安そうでした。途中で少しかわいそうかな、と思ったけど、子どもの変化は本当にスゴイですね。

・ 子供の“わるさ”を見ていると、私も昔やったということばかり。私の両親も、よくこんな私の育児を放棄しないでいてくれたと感謝しました。講師の方、どの方の話もとても素直に聞ける内容で、スタッフの方に感謝します。また、たけのこのみなさま、どうも有り難うございました。

・ 13回という長い間の自主学級だったが、子どもが具合が悪くなり参加できなかった事がなく、親子で元気に参加できました。けれど、上の子の行事や私事での不参加もありましたが、楽しい時間を過ごせました。また機会がありましたら、参加したいです。ありがとうございました。

・ こどもをのびのび育てる知恵をいろいろな面から学べた。子どもにいろいろな楽しい経験をさせてあげたくなった。まずはプレーパークへ行きたいです。

・ 本当にどの回もとても良かったです。企画してくれたスタッフの方、保育を担当してくださったたけのこの皆さん、本当にありがとうございました。子供の気持ちに寄りそうこと、日常の中ではなかなか難しいことですが、あまり力まずにやっていきたいと思います。良いきっかけを下さってありがとうございました。

・ 今回参加できて、ほんとに良かったです。3回ぐらいこれなかったのは残念でしたが、最後お友達と手をつないで楽しそうに遊んでる姿を見て、ほんとうれしく思いました。ありがとうございました。



<保育に関する感想(重複するものを含む)>

・ 毎回、楽しく保育に参加して、いつも楽しそうに保育で仲良くなった友達の名前を言っているのを聞いて、保育に行かせて本当によかったと思いました。

・ イヤだ!イヤだ!と言いながらも、たけのこさん保育であそんで、迎えに行った時の子どもの笑顔。それをいつも楽しみにしていました。今日も楽しかったんだな〜って何も言わなくても感じ取れました。

・ スタッフ、そして保育の方々、本当にご苦労さまでした。そしてありがとうございました。

・ たけのこのみなさま、どうも有り難うございました。

・ 今回参加したいと思ったのも、「たけのこ」というのが有るという事が、初めての親子離れのきっかけにもなると思い申し込みました。これからもぜひ、たけのこさんの活動に期待しています。

・ たけのこさんの保育。子どもが本当に楽しんでいた。最初は親と離れて泣いていた子どもが、自分の力で自然に自立していくように見守ってくれる保育はなかなかないと思う。素晴らしい保育ボランティアの方に出会えてとても嬉しかったです。

・ 企画してくれたスタッフの方、保育を担当してくださったたけのこの皆さん、ありがとうございました。

・ たけのこさんの保育、とても自由に遊ばせてみまもる、すぐには声をかけないと、私もそういう子育てをしていこうと、あらためて思いました。

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